はてなキーワード: 揚げ足取りとは
クソつまんねぇからだよw
そんなことする男はクソつまんねぇヤツで、たいていの女性からみたら男性的にも人間的にも魅力皆無だからだよw
同性の俺から見ても「おもんな~w相手かわいそ~w」って感じだよw
あのねぇ、「試し行為は良くない」ってのもまあ真っ当な理由なんだけど、そうじゃないんだよ。
はてなブロガーたちはカマトトぶって言わないけど、いい年して「初デートでサイゼ」なんてクッソつまんないし、そんなクッソつまんない選択をするやつと恋愛したい女、結婚したい女はね、いないのよ。いるかもしれないけどごくごく少数なのよ。
「何がいけないんだろう」じゃないよ。「本末転倒ではないでしょうか。」じゃないよ。お前のやってること(もしくはやりたいこと)がつまんないんだよ。
初回デートなんてお互い相手を見極めるために、自分をよりよくするのに頑張るところなのに、なにが悲しくてサイゼいかなきゃいけないんだよw
それさ~、楽しい?w
生活感を試したいなら「もう絶対一押しの安くておいしい定食屋があるんです!初デートでいくような感じの店じゃないんですけどぜひ!!もう絶対食べてほしいんです!!」とかいって試せばいいじゃん。
俺なら絶対やらないけど、サイゼよりは若干マシだよ。「こういう人いいな」って思ってくれる確率はほんのちょっと上がると思うよ。
どうせ「え~と、サイゼでいいですか?安いし」とか言ってんだろ?頑張れよもうちょっと。工夫しろ。
揚げ足取りに手ぐすね引いてるカスどものためにも書いておくけど、サイゼっていう店自体が悪いわけじゃないんだよ。
あの低価格であのお味、素晴らしいですよ、結婚した後に何度もお世話になりますよ。
でもそういう誰でも知ってる素晴らしいいつでもいける低価格の店しか提案できないという行為自体は、大抵の異性からしたらクソつまんないし、そういう提案しかできないヤツは魅力がないんだよ。
あっこの人サイゼしか知らんのだな、ってなるんだよね。透けて見えるよね、人間性が。
そういう意味では試し行為としてはまぁ最適ではあるよね。相手からするとダルいけど。
あともうひとつ言っとくと学生とか若年者が初デートでサイゼとかだったらそれはアリだと思うよ。
「大学の下校時に勇気を出して同期の女の子をサイゼの晩御飯に誘いました。」←素晴らしいよね。これは「面白い」よね。クソつまんなくないよね。
でもお前の書きぶりからはこういう爽やかさがないよね。
「何がいけないんだろう」じゃねーよ。暗いんだよオッサン。まぁこじらせた学生だったらごめんだけど。学生でも改まって誘うならそれなりの店が良いよ。
色々書いたけど、試し行為云々じゃなくて、お前の提案には魅力が皆無でクソつまんないから相手からしたらうんざりするってのが一番だよ。
つまんないことされると相手はダルいんだよ。時間の無駄なの。お前はタイムロス防げてるのかもしんないけど、相手の時間無駄になってますからw
お前の提案に魅力がないのを、「試したほうが効率的だから。」とかごまかしてんじゃねーよ。安くてデート向きの良い店しらんだけだろ。
どうしてもそこで「試し」たいんだったら、デートのアポイントの時に
「自分、初デートのときはサイゼに誘って相手の人間性みることにしてるんですけど、良いですか?」ってきけよ。
いつかそれを受け入れてくれる女も現れるかもよ。
久々に香ばしい人を見つけてしまったな。昔の若い頃の自分そっくりなのに、あの人が二十年経っても、手に入らないものを沢山私は持ってる。
何が違ったのかなって、やっぱり需要と供給とリスクがわかってたからだ。対等な関係に持ち込むために、怒りをコントロールして、相手を見定める。相手の試し行動は、謙虚にとぼける。本音と建前がどの歩合で力があるか、俯瞰でつかむ。それができたから、環境を手に入れた。
こう捉えてたら、どんな相手にも拒絶されるよ。自分には需要があるに決まってる。最初から供給してあげられるのはわかってる。自分には建前はくだらないんで。
ぜーんぶ自己愛なんだもん。誰もついてけないし、相手も自己を守るためなら、どんどんキツく当たるの、当たり前じゃん。
asd傾向の人が、どのタイミングで人間関係を破壊してくのが、わかりやすかった。
最初からとにかく目標が高くて、自己評価が高い→目標が高いだけなのを全員に見破られる→本音で筋を通してるつもりになる、建前で尊重してくれる人には依存する→自分が本音で接するから相手も本音で怒りをぶつけてくる、建前の人の優しさの中途半端さには気付けない→言葉の揚げ足取りして断罪していく→好き嫌いの二極化→精神的苦痛が身体的苦痛になっていく→逃避して目標放棄→他責で自己評価は高いまま
SNSでは、相手の欠点を探し出して揚げ足を取ることを議論だというらしい。
しかも、当人同士ではなく相手と違う属性の欠点も連帯責任として揚げ足取りに使われる。他人だ。
勝てる話題がなくなれば、連想ゲームのように関連する人の揚げ足取りをしなければならない。
揚げ足を取り続けて攻めてる側にいないと負けてしまうのだ。
強い相手に挑めば負ける。だから弱い相手を探すことが勝利への近道だ。
勝てるならとことんやる。負けるなら被害者になる手段を探すしか無い。
SNS上の勝敗に囚われては幸せになれないことは明らかなのだが、努力なしに勝てる可能性のあるSNSの議論は蜜の味がするのだろう。
私はSNSを平和に使いたいので、この手の揚げ足取りゲームは別の場所でやってほしいのが本音ではある。
ただ、みんなに見られながら揚げ足を取りたい見られたい体質の皆様においては、無理な話なのだろう。
それでも揚げ足取りの行く先に、政治家や法律の話を巻き込むのであれば、たどり着くのは規制社会なのでほどほどでお願いしたい。
揚げ足を取った幸福感のために、生活が息苦しくなるのは揚げ足取りの材料が増えて嬉しいだろう。しかし、多くの人はそうではないと知っていてほしい。