「セカイカメラ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: セカイカメラとは

2009-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20090929123305

マック

マック鈴木愛称。ちなみにパパイヤ鈴木愛称パパイヤ

シリコンバレー


おっぱいバレー次回作。残念ながらシリコンが入った女優しか見つけられなかったからこのタイトルAV女優が出演するよくあるVシネマ

gmail


オカマ。両性具有の便利な奴。

セカイカメラ

セカイを見通せるなら買いたい。セカイカメラを使うとホムンクルスが見えるらしい。

2009-09-25

セカイカメラ

街中でセカイカメラを見てみた。

マンションの前でセカイカメラをかざしたらどこかの部屋の中の

犬やテレビや部屋の内部が画像で出てきた。

どうやら女性らしい。

たくさん、テスト撮りしてあったようで、色々物色して画像を全部保存して

「堪能しました、ありがとうございました。」とタグに書き込んで逃げた。

2009-09-24

セカイカメラ in School(ツールを使う日常学校にあること)

 

 頓智ドットの「セカイカメラ」がとうとうリリースされました。

 公開直後は登録サーバなど負荷増大のため,しばらくは重たい使用感になるかも知れませんが,期待されていたARアプリだけに,今後の活用と展開が期待されます。きっと様々なエア・タグが登録されていくことでしょう。

 

 私の興味関心は,いろんなツールを学校現場で使ってみることなので,セカイカメラも同じように学校現場で利用したら,様々な点で面白いと思います。

 ・各学校の正門に「学校紹介」をエアタギングしてみる

 ・花壇や飼育小屋に,観察記録をエアタギングしてみる

 ・校内の各教室や備品などにエアタギングしてみる

 ・学校の周辺や社会見学先でエアタギングしてみる

 ・文化祭の企画として学校中にエアタギングされた学習クイズやヒントを解いていく

  etc..

 日常使うツールとして使うのも面白いですし,特別な日のために活用してみるのも面白いです。

 

 iPhoneセカイカメラのような「ICT機器」(教育のセカイでは,情報機器モバイル端末等をこう呼んでいます)を学校現場に持ち込むことに,どんなメリットがあるのか不審に思う向きも少なくないようです。

 携帯電話学校持ち込み禁止になりましたから,なお,そのような考えや意見は増え,強くなっているかも知れません。

 

 しかし,「ツールを使う日常学校にあること」は,メリットデメリットを丸ごと含めて,とても重要なことだと考えます。なぜなら,そのような「ツールを使う」ことに対する「指導や学びのチャンス」を学校内に確保できるからです。

 

 残念なことに,軽量小型のビデオカメラ機能付き音楽プレーヤーが盗撮の道具に使われるという事件が起きています。このような行為をするのは,ツールの機能的な側面ばかりに目を奪われて,利用による効果や影響に関する思慮が足りないせいではないでしょうか。誘惑を断ち切る精神的な強さも足りなかったのでしょう。

 ツールを使う日常学校にあることによって,たとえば,機能面に捕らわれて起こしてしまう小さな失敗から多くを学ぶ機会が得られると考えます。少なくとも学校教育の中なら,そのような学びの機会を用意しやすいのです。そのような経験の繰り返しによって,ツールに対する適切な態度も形成されるのではないでしょうか。社会人になってからでは,その学習機会をつくることがどれだけ難しいか,実感されている方も多いと思います。

 

 iPhoneセカイカメラといったツールは,学校現場に積極的に持ち込んで,そのポジティブな面とネガティブな面を両方とも触れていくことが大事ではないでしょうか。そこに夢を描いてもよいですし,過度な商業主義に対する距離を確保してもよいでしょうし,あるいは学習活動に積極的に導入してもよいでしょう。

 

 ツールを使う日常学校にあることによって,少しでも学校セカイがわくわくすることを望みます。

2009-02-26

セカイカメラについて

ヒトの気分や伝えたい事がフキダシになって浮かぶようになったのは戦前の頃だって、おじいちゃんが教えてくれた。白人兵を見て戦闘力がいくつだとか、今まで何人を殺してきたとか、分かったらしい。おじいちゃんは酔っ払う度に言ってた。フキダシからはそいつが人殺しするシーンも見れて、白人のやり口は本当にキチガイじみておぞましいと思ったもんだって。

戦争が終わったらフキダシの使い道がなくなったので、モノからもフキダシが出るようになった。お店の棚の食べ物が、「私おいしいよ」とか「オレもうすぐ腐るから、オバチャンにそう言ってみな。きっとまけてくれるよ」等としゃべるようになった。我輩はカレーパンである。名前も既にある。カレーパンだ。みんなの話によるとあまりうまくないらしいよ、ってね。

今座ってる喫茶店のこの席で、3日前にW不倫をこじらせたカップル修羅場があったとか、そんなフキダシで出るようになったのもその頃。ありとあらゆる風景ガッテン説明がつくようになって、テレビ街角、あらゆる場所のあらゆる時間、ヒトがどう思ってタイムラインを過ごしてたかなんてのが普通に流れてたって。お父さんの時代にはそーゆーのをひとくくりに拡張現実とか非同期コミュニケーションとか呼んでた。

で、僕の時代には、もうそんなの、何もない。

ヒトが考えることなんて顔見てりゃ分かる。彼女説教してる時の僕は「あーこいつともそろそろ潮時かな」って顔してるだろし、あげくに号泣でもされたらもう終わりなんだなぁ、コイツとも早かったなぁってな具合。会社会議ペチャクチャしゃべてるオッサンは、表情だけでなく脳みそ空っぽで、何もない。まだしばらく戦争はなさそうだけど、ケンカ相手に勝てるか負けるかなんて直感で分かるし、実際の所それは戦闘力なんて得体の知れないない数字よりもよっぽど有益だ。食べ物も見てりゃ大体おいしそうかまずそうかなんて分かるし、コンビニには商品の下に値段まで書いてる明朗会計。どの喫茶店でどんなフリフラレが展開されてたかなん商店街でたむろするおばちゃんの話を盗み聞きしてりゃすぐ分かる。

だからそんなご先祖様的な風習なんてすっかり廃れてしまった。ケータイカメラも、もう僕の周りはほとんど持ってない。5年ほど前から東京ではそんな人が増えてきたけど、最近では田舎のほうでもあまり見ないようになった。

今日も駅前の雑踏からは何も見えない。でも、昔の映画を観て憧れたドラマのような世界がそこにはあるんだ。僕たちは今最高にクールファンタスティックな時代を生きている。

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