はてなキーワード: ゲシュタルト崩壊とは
はてなブックマーク - 荻野はコンテンツとしてとても面白かった - phaのニート日記
コンテンツコンテンツ言い過ぎてコンテンツがゲシュタルト崩壊してくるんだけれども。
「コンテンツ」とは、映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピュータゲームその他の文字、図形、色彩、音声、動作若しくは映像若しくはこれらを組み合わせたもの又はこれらに係る情報を電子計算機を介して提供するためのプログラムであって、人間の創造的活動により生み出されるもののうち、教養又は娯楽の範囲に属するものをいう(コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律2条)。
「生み出されるもの」に注意して、次のようにタイトリングしたら波風立たなかったんじゃないかと。
一部の人は(危なっかしい言い換えしてみるけど)、要は「人がモノ(コンテンツ)扱いされたこと」に引っかかってるんだよね。
人権の話、かなあ。
そこに突っかかってる人は、上みたいな読み替えすると、頭冷えると思う。
あとなんていうか、最初に触れたように、コンテンツ自体の定義があやふやになってるんで、
モノに言い換えて良かったのかは、よく分からない。
わらった。死ねばいいのに。
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そうそう。昨日な、ふらっと水道橋にデートに行ったんだ。とくに目的は無し。
そしたらあのへんものすごい混沌としてんのな。
もう秋葉なんて目じゃねーくらい。だって秋葉はオタと観光客と店の人の3種に大別できるじゃん。
昨日の水道橋はすごかった。
16時過ぎに後楽園駅で降りたんだけど、安田記念ウインズ帰りのおっさんたちと、KAT-TUNの開演待ちの女子軍団と、ラクーアコスプレ祭り(なんかコスプレしてると入場が安くなるらしい)のレイヤーさんたちと、普通の観光客と買い物客が入り交じって、かつラクーアのステージではバンドが演奏してて、頭上をコースターがゴンゴンいいながら通ってくの。
全員が全員、別に集団に属するわけじゃなく、己の利益でめいめいに動いてるんだけど、自然に集団になってる。でもその境界は曖昧で入り組んでいる。誰がヘンで、誰がヘンじゃないのかもうワケわかんなくなるの。自分たちを含めて、ね。「普通」のゲシュタルト崩壊。
とくにレイヤーの存在は強烈だった。正確には、レイヤーが非レイヤーの中に混在している状況が。普通の外国人観光客とか、普通の女子高生とか、普通のギャル/ギャル男とか、普通のツナギ姿のラクーア職員とかまで「レイヤーなんじゃないのか?」とか思えてくる。
いっぽうウインズ帰りのおっさんたちはアースカラー。あれは都市迷彩の一種だと思ってるんだが、集団でいると一発で分かる。
さらにいっぽうKAT-TUNファンの女子たちの服装に共通点はまるでないのに、みんないっしょに見える。結論から言うと「合コンに来るような服装」という共通点が判明。つまりハイヒールにワンピで髪の毛作って、みたいな。なんかおれの中の「ライブ」という概念を覆された。
不思議な体験だったよ。
単純に美味しいといえる物が作れないということ。材料を美味しくするのでなければ、それは単なる切った野菜であり、火の通った肉だ。「これだけは美味しく作れる」という一品があれば料理ができると主張していいのではないだろうか。
私は料理ができない。味覚は正常だし、調理作業も結構好きだ。でも美味しいものが作れない。ありあわせのもので一品仕上げるなんて夢のまた夢だ。同じ料理をつくっても毎回味が違ったりする。失敗したときにどのパラメータをいじればいいのかわからない。塩加減?火加減?切り方?そのうち「美味しい」がゲシュタルト崩壊を起こして、一人もしゃもしゃと生焼けの炒めものを食べていたりする。あ、ニンジンが生だ。でも生でも普通に食べるよな……これって実は美味しいってこと?
tomo-moonだったかブクマコメで「やってTRY」を蛇蝎のごとく嫌ってたけど、実は私はあのコーナーが好きだ。愛エプも。私に代わって失敗してくれるから。愛エプなんか親切なつくりで、小麦粉の代わりに片栗粉を使ったらなんで駄目かを服部せんせいが教えてくれる。レシピ本は正解が書いてあるけど、何をやったら駄目か、どうしてそうするのかは教えてくれなかったりする。やっちゃ駄目なことをやった結果どうなるのかを試食で見せるというのもポイント高い。自分で食べても「こんなものなのかな」で済んでしまうから。
「やってTRY」でたまにすごい女の子が現れる。作ったことないけど、完成品から逆算して正当ではないが美味しいものを作り上げてしまう子達だ。彼女達を見てて思うのだが、料理にはきっと文法があるのだ。扱える素材はボキャブラリー。というとしたり顔で「焼く煮る蒸す炒める……」なんていいだす奴がきっといる。私達はその言葉の一段上か下のレイヤーで戸惑っているのだ。うまく説明できないけど。
料理ができないできないといっているけれど、何回もチャレンジした結果として実は包丁捌きには少々自信がある。あまり自慢できる話でもないが。