単純に美味しいといえる物が作れないということ。材料を美味しくするのでなければ、それは単なる切った野菜であり、火の通った肉だ。「これだけは美味しく作れる」という一品があれば料理ができると主張していいのではないだろうか。
私は料理ができない。味覚は正常だし、調理作業も結構好きだ。でも美味しいものが作れない。ありあわせのもので一品仕上げるなんて夢のまた夢だ。同じ料理をつくっても毎回味が違ったりする。失敗したときにどのパラメータをいじればいいのかわからない。塩加減?火加減?切り方?そのうち「美味しい」がゲシュタルト崩壊を起こして、一人もしゃもしゃと生焼けの炒めものを食べていたりする。あ、ニンジンが生だ。でも生でも普通に食べるよな……これって実は美味しいってこと?
tomo-moonだったかブクマコメで「やってTRY」を蛇蝎のごとく嫌ってたけど、実は私はあのコーナーが好きだ。愛エプも。私に代わって失敗してくれるから。愛エプなんか親切なつくりで、小麦粉の代わりに片栗粉を使ったらなんで駄目かを服部せんせいが教えてくれる。レシピ本は正解が書いてあるけど、何をやったら駄目か、どうしてそうするのかは教えてくれなかったりする。やっちゃ駄目なことをやった結果どうなるのかを試食で見せるというのもポイント高い。自分で食べても「こんなものなのかな」で済んでしまうから。
「やってTRY」でたまにすごい女の子が現れる。作ったことないけど、完成品から逆算して正当ではないが美味しいものを作り上げてしまう子達だ。彼女達を見てて思うのだが、料理にはきっと文法があるのだ。扱える素材はボキャブラリー。というとしたり顔で「焼く煮る蒸す炒める……」なんていいだす奴がきっといる。私達はその言葉の一段上か下のレイヤーで戸惑っているのだ。うまく説明できないけど。
料理ができないできないといっているけれど、何回もチャレンジした結果として実は包丁捌きには少々自信がある。あまり自慢できる話でもないが。
炒めるより煮るが易し。 野菜と肉と、両方入れろ。 浮いてるアクは放ってもいいが、素材のアクは中和しろ。 味付けは、引き算出来ないので慎重に。 足りないのは塩味じゃない...