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2007-09-24

アニメゲーム暴力的表現は子供に何の悪影響も与えないのか

http://anond.hatelabo.jp/20070924201609

本文投稿者です。暴力的なコンテンツの放送が子供に影響を与える、という検証結果が出ているかなり有名な研究があります。アメリカ1961年に行われたBobo doll experimentというやつです。ウィキですが、リンク置いときます。

http://en.wikipedia.org/wiki/Bobo_doll_experiment

更にアメリカFederal Communication Commissionの2007年4月に提出されたリポートには、暴力的なテレビプログラム子供への影響についての調査結果がつらつらと並べられてますね。ブログ経由ですがリンクどぞ。

http://www.broadcastlawblog.com/archives/programming-regulations-violence-on-television-fcc-issues-report-suggesting-that-congressional-action-is-appropriate.html

(本文中の赤字のReportをクリックすればPDFが手に入ります)

本文書いた後に微妙に決定的なリポートを見つけてしまって少しがくっとしていますが、自分なりに反駁してみましょう。

子供に影響をあたえるので社会的に規制をしよう、という議論は誤りではないですが、何もそこまでしなくても、という印象です。テレビチャンネル権を子供に与えないことを含め、子供を悪影響のあるテレビ番組から遠ざけることは、ほとんど親の裁量によってコントロールできます。家族テレビを見るゴールデンタイムなどの時間帯にひぐらしのような番組を流すことは、FCCリポートや先行研究を鑑みて問題が多いかもしれませんが、子供テレビの消費はまずもって家庭問題であるはずです。子供に悪影響がありそうなものを社会的に全て規制しまうと、酒・たばこジャンクフード風俗・その他もろもろ全て規制しなければならなくなります。過剰に反応する前に、自己責任でなんとかなるんじゃねぇの、というのが私の意見です。

更に暴力表現が子供に悪影響を与える、という事実が立証されれば、それは報道番組にもなんらかの規制をしかなければならなくなります。そもそも生でリアルで過激でエンターテイメントニュースを日夜追っているのはテレビニュース番組でしょう。テレビ局が製作に関わっているバラエティ番組暴力表現が必ずといっていいほど含まれます。ニュース番組暴力的内容の作品にいちゃもんつけることは諸刃の剣に等しいですね。

一つ提案ですが、"テレビを見るときは部屋を明るくして云々。"に加えて、"物語に登場する人物たちは特殊な訓練を受けています。絶対真似しないでね。"というテロップを放送前に流したらどうでしょう。まぁ、世界観とか、物語性とか、台無しになりますが。

[]やっぱりAppleはもう駄目かもわからんね

MacユーザーAppleを庇う意見が痛々しい…。

http://slashdot.jp/mac/comments.pl?threshold=-1&mode=flat&commentsort=0&op_change=%E5%A4%89%E6%9B%B4&sid=374992

WindowsSafariを使ってみて即Appleの問題について気がついた俺はやっぱ正しいと今でも思ってるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20070922131252

WindowsSafari使ってみて驚いたというか、正直引いた。

プラグインもたくさんあるFirefoxのほうが数倍使いやすい。

AjaxアプリがほとんどSafariに対応していない。

まるでAjax/Web2.0/ウィキノミクス時代に取り残されたブラウザといった感じ。

ヌルいユーザーに囲まれるとなあ。

2007-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20070922105509

じゃあやっぱりApple駄目かもわからんね。

WindowsSafari使ってみて驚いたというか、正直引いた。

プラグインもたくさんあるFirefoxのほうが数倍使いやすい。

AjaxアプリがほとんどSafariに対応していない。

まるでAjax/Web2.0/ウィキノミクス時代に取り残されたブラウザといった感じ。

SafariやめてAdobeAirいれたほうが…なんて期待しても無駄か。あちゃー。

iPod進化もおそらくこれ以上は望めないだろうし、Appleに残された資産はなんだ。

2007-07-01

「ぼくらの」は読んだこともアニメ見たこともない。でもOPユーチューブで見たり、あとウィキで設定見たりとかだけで鬱になって、悲しすぎて吐きそうになる。だから何となく手が出せない。アニメなり原作なり最終回を迎えて、ラストがどのように終わるのか、ってのを聞いてからならただの作品として読めるかもしれないけど途中の今の段階では一々一喜一憂しなきゃいけなくてきっとついてゆけない。人が死ぬ、っていう点ではバトルロワイヤルとかも読んだことあるんだけど、その時はそんなにショックとか受けなかった。悲劇性、って点なら、友人と観に行った「誰も知らない」だって似たようなものだろう。でもその時はラストに、可哀想って泣きじゃくってた友人を見ながらえっこれって泣く映画なの??って思ったりしていた(実際にあった事件だってのは知ってたし、惨いとは思ったけど、)

でも「ぼくらの」に関しては悲しすぎて気持ち悪くて吐きそうになる。逃げ場がない、ってのが怖いんだろうか。でもそれはバトロワも一緒だし。ラストが見えてないから怖いと思うんだろうか。これが一番の理由っぽいなぁ。はらはらどきどきしたくないというか…完結してるオマージュ元ならまだ読めそうな気がするけど。作り物なんだから怖いとか悲しいとか感じるのはおかしいはずなのに、

それでも怖すぎて気持ち悪くて見る勇気が出ない。人が死ぬのが嫌なのかなー。

追記:

でも人死にがダメというわけではない。鬱系?分類のエヴァとかむしろ好き。

「ぼくらの」も初めは興味あった。でも一人ずつ必ず死んでいくのがダメだった。

2007-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20070426173738

言葉が足らなくてごめんね。

2ちゃんねら的というか、根拠なく人の批判を書いたり、

自分の価値観の中だけの見解で、掲示板に書き込むような人の事の事を指して書いた。

2ちゃんに限った話じゃないし、どこでもそういうことはあるけどね。

ウィキ○ィアは、普段からよく使っている場所だし、そういう絡みがあってちょっとショックだったんだ。

2006-10-03

[]WikiWikipedia

古い記事ですまないが。

「swk'slog」をきっかけに、mixiで多くの日記を拝見したり、はてなアンケートを採らせていただいたりして調べてみると、ウィキペディアの略称として、「ウィキ」が使われることが非常に多くなっているようなのだ。

最初はへぇぇぇと思ったけど、ウルトラマンを初代ウルトラマンと呼んだりするようなことかと思い直す。

例えばブログエントリ最近仮面ライダーって書かれてたらそれはまず仮面ライダーカブトのことだろうし、それが去年のエントリなら仮面ライダー響鬼のことになる。これは仮面ライダーという名詞があらゆる仮面ライダークラスで、特定のライダーを指さないおかげでコンフリクトが起きない仕組みになっているから問題ないのだけれども、一方で、ウルトラマンメビウスウルトラマンと呼んだりなんかすると、ウルトラマンというのはインスタンスとしても存在するためにコンフリクトが生じる場合があるんで、こういった場合は逆にウルトラマンのことを初代ウルトラマンと呼んだり、初代とだけ呼んだりするなどエイリアスを作成することによってファンはコンフリクトを回避し、今ではそれが一般化されている。

なので、帰ってきたウルトラマンが出た以降みたく、WikiWikipediaというさよなら三角が一般化されれば、(日本語圏内では)WikiそのものをWikiツールと呼んで区別したり、そのWikiツールの説明書きに「Wikipediaのように……」なんて書かれたりするようになっていくと思われるので、(日本語圏内だけの話だし)そこまで心配することでもないよね。

おそらくめたるまんの中の人にとってWiki = Wikipediaではなくて、今最も熱いWikiは別にあるんだろうなぁというところに落ち着いた。

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