はてなキーワード: (RYとは
いや…別に。少なくとも自分は。気になるあの子からそんな話を聞いちゃったら、むしろ今夜のオカz(ry
でも引く男性もいるかも? と、取ってつけたように加えておこう。
足なら足で指の先まで舐(ry
ばかーーーー!!!!
そこは「指の先」じゃなくて「指の間(除く親指と親指の間)」もしくは「爪と指の間まで」でしょ!
http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20070426/1177568517
http://www.heiwaboke.com/2007/04/post_877.html
この類いの話を聞くと、大学の頃を思い出す。
私は新宿生まれ新宿育ちで、大学院を出るまで実家で暮らしていた。都内の大学に入ると、地方から東京に出て一人暮らしを始める人と多く出会う。彼らは何を期待しているのか、「上京」とかいう謎のイベントを経て、私の地元に居を構え出す。三文ドラマみたいなセンチメンタリズムで「今日から俺 東京の人になる♪」とか歌い始める。誰が頼んだわけでもないのに、小さなワンルームで極貧生活を送る。そして、決まって「実家住まいは羨ましいよな〜」とか皮肉を言い出し、極貧同士で奇妙な連結をしたりしだす。「だったら今すぐに実家に帰れ」と言うのを堪えた私を褒めてほしい。そして挙げ句に「東京はゴミゴミしてる」とか「空気が汚い、水が不味い」だとか、私の故郷に悪態をつく。「その元凶はお前らだろ」と言うのを(ry
私から言わせてもらえば、一人暮らしの方がよっぽど贅沢だし、羨ましかった。親から経済的に自立して一人暮らしをしているなら、頭は上がらないが、所詮仕送りをもらってる上に家賃まで親に払わせている始末。それを棚に上げて「これだから実家住まいは」とか笑わせる。
今Napsterのサブスクリプションで落としたKissのベスト盤(邦題が「地獄の宝石」という微妙にいい感じにナメたタイトル)を聞いてるんだが、「Calling Dr.Love」の1分46秒くらい、短いドラムソロの最後あたりに入ってくる「ハッ!」って叫びがカッチョ良さすぎる。
ところで職場でNapsterの話をしたら職場の人に「え、ナプってまだ使えたっけ?」という反応が。昔のファイル交換ソフトの頃じゃなく今の定額音楽配信の方だとあわてて(?)説明したものの、これってちょっとしたジェネレーションギャップなのかも知れない。
かなり大雑把だけれど、第1世代がNapsterで、第2世代くらいがWinMXで、その次の第3世代がwinnyやshareだとすると、自分は第2世代くらいまでの記憶しかない。というか第2世代の記憶しかない。だからwinnyにはそんなに興味がないというかついていけない(インスコしたけどなんだかよくわからんかったし自分の求めてたファイルがマニアック過ぎて見つからずすぐに興味が失せた)し、Napsterもどちらかというと音楽配信の印象が強い。というかまあファイル交換ソフトなんぞエムエクースとCabosくらいしか使ったことがないですが。そもそもそういう人間がファイル交換ソフトの世代云々という話をするのが(ry
ちなみにWinMXで落としたファイルが「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」と「TVで流れた山本かよというアナウンサーの出産シーンのキャプ」(!)だけだったのは内緒だったり内緒じゃなかったり。
先程、何となくテレビを見ていたら『マジック革命』という番組がやっていた。あの街なかで看板からハンバーガーを取り出して食べちゃうマジックが有名なセロが出ている番組だ。
その番組の中で、ゴルフ場を舞台にセロがマジックをする場面があったのだが、これにモロにCGだと思われる映像の乱れ(画像のブレ、解像度が微妙に違う)が見受けられた。「これに対して視聴者はどう思っているんだろう?」僕が、テレビ番組を観てる最中にそう思ったときは、2ちゃんねるの実況板を覗くようにしている。大方の予想通り「どう見てもCGです。本当に(ry」との意見が目立つ。そんな中にも「CGとか言ってるやつキモい」「セロのマジックはCGと思わせるほどに凄い」との意見もある。
あれが本当にCGかどうかは別として、僕はテレビ番組でCGを使って視聴者を騙す様な作りは別に良いと思っていた。それは観る側にメディアリテラシーがある、と僕が思っていたからである。夕食を食べた後、緩〜い編成の垂れ流しテレビ番組を見ながら、「これはねーよw」「今のはさすがにCGってバレバレだなw」とか言いながら、お腹を休める。これが現在のゴールデン番組の立ち位置だと僕は思っていた。
先程から過去形を頻出させてるのは、現在改めて考え直さざるを得ない状況にあるからだ。それが、今巷を賑わせる『あるある大辞典』の問題だ。僕はほとんどあるある大辞典という番組を観なかったし、例え観たとしても「納豆でやせるだ?有り得ねーだろw」とケチつけながら、ガキの使いが始まるまでの時間つぶしとして観ていただろう。
しかしこの問題で浮き彫りになったのは、あるある大辞典の情報を信用している人が結構居た、ということである。それでまた、ねつ造をしていたことに対して「怒っている」人が居るってな始末である。近頃の炎上ブームに乗っかって、ただ単にお祭り騒ぎがしたくてあるあるを批判している人も大勢いるとは思うが、あれだけスーパーから納豆がなくなる事態が起きたってことは、そういう人も少なからず居るのである。
さてここでセロの話に戻る。僕が今思うことは、あるある大辞典の情報を鵜呑みにしてしまう層の人々が、「マジック革命」を観たらどのような反応をするのだろう。ひいては(セロのマジックがCGで加工されていたと仮定して)セロのマジックがCGだったと週刊誌が報じた場合、どのような反応をするのだろう。この場合ややこしいのは、「マジック番組でCGを使ってはいけない」というルールが存在しないことだ。しかし、CGを使うということは、加工前の映像を撮影しなくてはならないので、出演者(セロのマジックに驚く役者)もマジックに共犯的に加担している。これをやらせと呼べるかどうかは限りなくグレーである。
しかしこの風潮だと「やらせだ!騙された!」という論調が通ってしまいそうな気がしてならない。
あるある問題で、関西テレビが謝罪番組を放送した。ここでの「放送局の信頼を裏切る行為。視聴者、関係者の皆様。誠に申し訳ございませんでした」との発言が引っかかる。僕は、まず前提として「放送局への信頼なんて1ナノも持ってね〜よ!」というスタンスである。だからこそ、CGを使ったマジック番組も鼻で笑って観られるし、エセ科学とねつ造情報の番組も時間つぶし程度に観られるのだ。
しかし頭っから信用してしまう人もいるんだな、ということ知り、更にこれからテレビ番組は面白いものを作ることが難しくなってきたな、と思う。なぜなら面白いもの作りには、作り手と受け取り手にリテラシーが備わっていることが条件だと僕は思うからだ。