はてなキーワード: 日本教とは
ゲーム理論で「しっぺ返し戦略が最適」とされるのは、同じ相手と永久に付き合う場合であり
一回きりの付き合いであれば、攻撃が最適となる。
有限回の付き合いであれば、最終の対応は攻撃がベストとなる。
最期に攻撃されるのであれば、先手を打たなければならない。
他者は全て潜在的な敵となり、社会は崩壊してしまう。
という合理主義の行き着く結末を回避し、社会を維持してきたものが宗教である。
「死んだ後も魂はまだまだ続くよ!」と皆で信じることによって、
ライフゲームの「最後の手」を出させないようにするキリスト教やヒンズー教。
現世の人間関係の絶対性を徹底的に脳に刻ませる儒教、日本教、共産主義。
一神教vs多神教という差よりも、未来主義か現世主義かという差のほうが大きい。
そして危険性/安全性という観点や、タブーの多さという観点においては
どちらが優れているとも言えない。
http://anond.hatelabo.jp/20081109215449を読んで思ったこと。
私は文化祭大好き人間で、「みんなー!最後の文化祭はりきってこーぜ!!」というくらい暑苦しい人間でした。
文化祭なんて何年もまえに終わってしまったけれど、教育的効果は(自分に関して言えば)かなりあったと思う。
就活に使いやすいエピソードではあったとも思うな。
・一つのものを他人と協力して創り上げました!
・タイムマネジメントを学びました!
・仲間同士の意見のすれ違いの背景を分析する力がつきました!
・他人を感動させるにはどうしたら良いか考え自分なりに働きました!
確かに、「それ、別に祭りじゃなくても・・・」「誰もがそういう風な経験するわけじゃない」って思う人もいるだろうけれど、
学校がそういう機会を与えてそういう力のある子を喚起させるにはいいとおもうよ。
日本教育の根本は「機会均等」だからね。合わない子がいても仕方ないよ。(残念ながら)
それが肌に合わない子は部活や学問、課外活動など別のフィールドで活躍すればいいんだけど・・・そこが整備されないのが問題なのかなぁ?
話は変わるけれど、大学のゼミでナショナリズムについて話していたときに、
(文献はベネティクト・アンダーソンの『創造の共同体』だったと思います)
『文化祭って、小さなナショナリズムだよね』という意見が出てかなりショッキングだった経験があります。
(あと、「文化祭実行委員とか大っ嫌いだった!」と面と向かって言われましたw)
確かに「祭り」という行事の背景に「クラスの仲間」「学年」「母校」という共同体の姿を連想させやすくするし、
結果、結束や帰属意識を高めるには効果の高い装置ではあると思う。
日教組の中のどこの誰が悪いのか特定してから言ってほしい。
言って欲しければいくらでも言ってやるが、この余白はそれを書くには狭すぎる。というのは冗談としても、まともな論理の通用しない組織がこの国の公教育に浸透しているというだけでそもそも大問題なんだよ。
過去にあんだけ北朝鮮を賛美して、当時の組合長なんてあの国から勲章までもらってる。日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会なんて組織も結成して、その会長はいずれも日教組関係者。北の将軍様が拉致を認めた以後も未だに定期的に訪朝して、それに対する指摘から逃げ回ってるんだから「お前どっちの国の人間だよ?」と揶揄されても仕方ない。Googleのトップページから「日教組」で検索してみ?サジェスチョン機能で「日教組 北朝鮮」が候補に挙がるくらいだ。拉致問題を取り上げた教科書を「北朝鮮を敵視している」とやり玉に挙げたこともあった。
「北朝鮮絡み」の、ほんの一部だけでこれだけ「ホコリ」が出てきて、未だにそれらに対する釈明も総括もせずに、大臣のクビを飛ばせるほどの影響力を隠然と持っている組織があるわけだ。しかもその本拠地は「国家百年の大計」と呼ぶべき教育分野ときている。そういう組織に好きこのんで所属している時点で構成員は皆同罪と言われても文句は言えんだろ。