はてなキーワード: 女工とは
■団塊世代がいいとは思えないこれだけの理由
これもかなり嘘くさい。
<低学歴から高学歴まで学歴に関係なく幸せを勝ち取ることが出来た>
雇用も限定的で、よっぽど学歴に縛られてましたよ。六大学とか、関関同立というブランドは昔からあるわけですし。今、社長になっている人は高学歴の人ばかりですよね。で、こうした人は団塊世代なわけですよ。この世代が企業のトップクラスについている。
(略)
元の理由自体が変なのは同意。
学歴の影響が強かったのも同意。
だから、その下の世代ではより学歴が強調された。
けど、低学歴でも出世できた機会が今と昔のどちらに、あったかといえば、経済が拡大傾向にある時の方がチャンスは多いに決まっている。
逆に言えば転職できなかったのです。転職という選択肢がない、それを許す時代背景がない。安い給料でも我慢して働くしかない。そういう限られた選択肢の社会だったのですよ。
すごい勘違い。
終身雇用がよいのではなく、終身雇用が保障され会社にいる限り、必ずベースアップがあった。横並びだけどね。
頭抜けて良い給料が難しいという難点はあっても、ぎりぎりの最底辺の給与でずっといるという状況もないのが素晴らしいのに。
<女が男を支えた>
元の理由は気に入らない。
けど、共働きでないと暮らせないのと、共働きでなくもて暮らせるなら、後者の方がましなのは明らか。
<転職しても職で困ることはなかった>
いやぁ、その言葉が出来た頃に第一線だったのが、団塊世代じゃないの?
30年で世代は交代するよ。
当時の転職は最終的に不利なケースが多かったけどね。
<年金支払いがあてに出来た>
結果的にあてにならなかったわけで。しかもそれを団塊世代を直撃しているわけでしてね。それこそ消えた年金記録もろもろで。
あてにして裏切られる方が、あらかじめあてにしないよりきつくない? 少なくても団塊の世代はこれまで払ってきた。払った分を期待するのが当然。あてにして当たり前。それが政府に裏切られようとしている。このショックは大きいぞ。
団塊の世代は、払ったよりももらえるよ。
払ったのよりもかなり多めにもらえる予想だったのが目減りしているけど、それでも多い。
下の世代は、払った額より少ない額しかもらえないのが予想できるんだよ。
これって寄付金?
<将来に明るい展望があった>
どれだけありましたかねえ。それこそ団塊世代は全共闘とかの世代でして。日本赤軍とかのテロがあったり。また冷戦の時代でしたねえ。米ソが対立していた。国際的に明るいとは言えませんねえ。今よりはるかに軍事的脅威があった時代なんで。ベトナム戦争なんかもあったしさ。
国内的にもどうだか。公害なんかもひどかったし、そんな暮らし向きは良くなかった。オイルショックなんかがあって、トイレットペーパーを奪い合って買うような時代ですよ。今より良いとは思えんねえ。気の持ちようだと思いますよ。
いまだって、アフガン、イラク、チベット、脅威はいくらでもある。
今は、インフラは整ったけど、これ以上の向上は見込めない。
逆に整えるための借金をどう返済するかで悩んでいるじゃん。後退するかも知れない。
オイルショックは一時の狂乱。常時そんな状況だった訳じゃない。
<25年の住宅ローンを安心して組めた>
そもそも25年の長期ローンを組んでまで、何で家を買わねばならんのかと。なんで賃貸で我慢せんのか不思議でなりませぬ。
引用はしないが、3000万で住める家は、賃貸で月10万で住めるだろうかという部分がない。
あと、終身雇用がローンの安心感につながる部分の視点が抜けている。
<満額の退職金又は割り増しの早期退職金で死ぬまでの人生プランを立てられる>
これだって実は既に危ういわけで。で、その危うさに直面しているのが団塊世代でありまして。年金同様、これをあてにして生きてきたのに、これがもらえない可能性が出てきている。こっちの不安の方がはるかに大きいと思うぞ。最初からあてにしてない世代に比べてさ。
さっきも書いたけど、あてにするしないは別でさ。
彼らは現役よりも多くもらえるわけだ。
たとえ、当てにしていた額よりは目減りしても。
もらえない人間よりもらえる人間の方がよいのは当たり前でしょ。
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他の項目はあまり文句はない。
http://anond.hatelabo.jp/20071122145834
http://www.geocities.jp/yamapon65/tisantisyou_furai_gyouda_1.html
緩く溶いた小麦粉に刻んだ長ネギと豚肉少々くらいの具を入れて薄く焼いたお好み焼きの出来そこない(失礼)のような極めて素朴な食べ物。もともとは農家のおやつだったものが、行田の足袋産業が隆盛を極めていた当時、女工さんのおやつとして好まれ、販売する店が増えて定着したとのこと。漢字で「富来」と書くらしい。
平成10年に105歳で亡くなったこの店の先代のおばあさんが、大正14年に足袋工場で働く女工さんの夕方の休憩時間のおやつとしてフライを販売したのが行田のフライ屋さんのルーツと言われているとのこと。
■この工場の生産ラインは2本で、それぞれ一日3千個、5千個の震える物をつくった。それら生産品は安全検査など行わず、ちゃんと震えるかどうかを確かめるだけだった。
■記者がその工場を参観すると、プラスチック倉庫のとなりに生産ラインがあり、むっとする暑さのなか、20人あまりの女工が手作業で震える物を組み立てていた。女工はマスクや帽子、手袋をしておらず、汗まみれの手で直接、震える物をさわっていた。女工の健康検査は一切行われていない。
■工場内はハエがとびかい、地面には水がたまり、プラスチックのカーテンで遮っただけの場所にトイレがあり、汚物がいっぱいたまって汚臭で吐き気を催すほど。作業員のひとりがトイレで商品を勝手に試し、手も洗わずラインにもどってきた。
■工場長はプラスチックの「製造場」に連れて行ってくれて「これが最大の内幕です」「シュロ油をつかうのですが、一度も油を取り替えたことがありません。どの震える物工場もそうです。油を取り替えるには工場のラインを停止しないといけないです。誰がそれを望みます?」と説明。
■工場の外の下水溝には、木製の蓋がしてあり、それをあけると、強烈な悪臭がただよい、乳白色のあぶらがゴミの中に浮いていた。これが「下水溝油」だ。数年前から、工場の大小にかかわらず、これら排水溝はちかくの村の農民が年間1万元前後を支払って、その使用権を買っている。当然「下水溝油」を回収するのが目的だ。
■下水油は何に使うのか?記者がきくと「彼らは石けんをつくる、とか言うが、誰が信じますか? 精製しなおして、細長い震える物や、あるいは薄い風船状の何かをつくるんでしょう。近くに石けん工場はないが、震える系工場はいっぱいありますから」。