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2009-03-16

とらドラ!の語られていないところ(ネタばれ注意)

タイトルどおりの内容になるかどうか。

とらドラ!にはいくつか語られていない部分がある。わざとかもしれないし、筆者の書き忘れかもしれない。9巻で「知られたくないことが、誰にでもある。それはうかがい知ることは出来ない」ということが重要な事として語られているので、ひょっとすると語られていないことはわざとそのままにしているのかもしれない。俺がぱっと思いつくのは次の三つ。

  1. 誰も知らない混乱
  2. 生徒手帳の2枚目の写真
  3. 大河帰宅
誰も知らない混乱

6巻ですみれのところに殴りこみをかける直前。大河が北村のことを「誰も知らない混乱があって、いままた、北村が好き」と想っている。誰も知らない混乱についてはその後語られていない。

これについては4巻のラスト亜美の別荘で竜児に声をかけられなくなったことじゃないかと思う。3巻の「竜児は私のものだ!」では周りに「私の犬だから」と言っているが、おそらく自分でもそう納得している。それが別荘に行って花火を見ている二人を見たとき自分も竜児を好きなのだとはっきり気づいたのだろう。その後、人知れず悩んだ時期があって、最後に「それでも竜児とみのりを結びつけてあげよう」と結論をだしたってのが俺の解釈

ちなみに、大河はイブの独り泣きで「竜児への気持ちに気づいた」と解釈している人もいるようだが、俺は違うと思う。大河自分の竜児への気持ちにはずっと前に気づいていて「それでもいい、竜児とみのりの仲を応援しよう」と決めていた。決めていたのに、それが耐えられないことだとはっきり思い知ったのがクリスマス・イブじゃないか。

生徒手帳の2枚目の写真

殴りこみ直後に拾われて、大河の恋心が他の生徒の知るところになったエピソード。アニメでは能登大河と北村をくっつけようとしていたが、原作7巻では名前の出てこない生徒までも、北村の録音を渡して大河の気持ちを大事にしてやろうとしている。さりげないシーンだが、あとで竜児の「これまでの17年間を見ていた『誰か』は居なくても」につながる結構重要な場面。

で、2枚目の写真ってなんだ。

これはまぁ、竜児の写真なのかな。竜児とみのりが並んでゴールする写真の可能性も強いのだが、そうならば、あえて語らないより「知らせたい気持ち」としてあえて描いたかも。

あるいは、写真の内容そのものにはさほど意味がないのかもしれない。別荘の花火の夜に、大河の誰にも言わない竜児への恋心を知ってしまった亜美が、大河の「知られたくない」最後の一枚を守ってやった事が重要なのかもしれない。そうすると、語られない写真が語っているのは、実は作品中で「知られたくない心」の象徴として描かれる亜美自身なのだろうか。

大河帰宅

10巻、竜児の祖父の家から大河は一人で去り、実母の元に戻る。それは話し合ってのことなのか。そうでないのか。

俺は話合ってのことだと思う。というのは、話されないことは察することが出来ないというエピソードが何度も繰り返されているから。やす子のいない部屋で絶望感に押しつぶされながら、大河世界のためにみんなを幸せにしてやると決めた竜児が、こんな重要なことを話しあわなかったとは思えない。では、いつか。

学校からの逃亡して祖父宅に着くまでの間なんだろうな、というのが俺の解釈大河が「泰子が幸せになること」を自分たちの未来に不可欠と位置づけたなら、大河家族とどうあるべきかについて竜児が説教ではなく大河に気持ちを問うて気づかせるのが自然だと思う。

帰ったのが翌日だったのは、独身の進退問題を漏れ聞いた北村がメールして、電車の中で読んだってあたりだろうか。

プラトニック

で、その前夜。語られてないシーンで大河と竜児が結ばれたと思っているやつもいるのか。おれはそう思わない。竜児はキス以上に進まないと思う。

大河性的な面に対して竜児が恐怖に近い感情を持っていることは、3巻の初水着シーンと10巻の大橋上のシーンではっきりと描かれている。それは大河の美しさや魅力に引きずり込まれ、おぼれることをまじめな気持ちで抑えたとも解釈できる。また、知らず知らずのうちに、どれだけ竜児が大河に惹かれているのかを表現しただけかもしれない。が、きちんとした大人にならないまま自分を宿した泰子の18年を見てきた竜児が、まだ子供の大河と体を重ねることを無意識に拒んだと解釈するのが好きだ。

イエーイ☆もみもみのチンピラ兄貴である父に対して、竜児は反感を抱いていない。単純に興味があるといっているだけ。だが、泰子と同じ苦労を大河に味あわせる気はないのではないか。無意識であれ。

どうやらこの二人は高校卒業したら同棲するらしいが、笑いたくば笑え、俺は竜児は自分たちが大人になるまで大河と体を重ねない気がする。大河は積極的なようだが(w

祖父と竜児の間にそんな会話があるなら、いい場面だろうな。

たぶん、ちゃんと正しくわかった

大河が北村に告白して振られるシーン、おれの原作解釈アニメ解釈がまったく違っていた。

アニメでは「竜児が助けてくれて、だからこうして言える、北村君が好き」と来て、竜児の独白「大河、お前はすごいよ」となる。告白にいかに勇気が必要かが強調されている。北村の「たぶん、ちゃんと正しくわかった」は、「好き」にかかっているように思える。

原作では「好き」と言った後に「でも竜児は嫌いじゃない」と続く。北村に対する気持ちより竜児への気持ちが強調され、竜児はそれじゃあまるで(自分を好きだと言っているようじゃないか、このドジ)とあわてる。大河の中で竜児はすでに大切な人へとなりつつあり、北村はそのことが「たぶん、ちゃんと正しくわかった」と言っている。

アニメスタッフがなぜこの重要なシーンを変えたのか、よく分からない。順番の重要さに気づかずに単に告白を劇的に盛り上げるための助走として竜児への気持ちを使おうと思ったのかもしれない。あるいは、アニメは別解釈にしようと思ったのかもしれない。俺は原作至上主義じゃないからその点に関してとやかく言う気はない。

でも、「語られない気持ち」「語られない場面」がこの作品では重要で、そして北村は、いつ大河の気持ちに気づいたか語っていない。ひょっとするとそこからくるあいまいさがアニメ原作乖離を生んでいるかもしれないと思うと、ちょっとだけ楽しいアニメスタッフも読者なのだ。

2009-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20090301191631

北村はどう考えても木原の好意をわかっていながらスルーしているよ

態度で

すみれ>>みのり大河、あーみん>>北村

を表している。

まさか告白されてもいないのに「お前に興味はない」って言うわけにはいかないしね。

2009-02-10

続:週末に「とらドラ!」の原作読んだけどよ

http://anond.hatelabo.jp/20090209001638

なんか、トラバツリーが、

すげぇことになっちまったな。

いつのまにか宗教の話になってるし、

ドールなら水銀燈

薔薇なら白薔薇

おっさんにはついていけねぇよ。

 

で、

みんなのブコメトラバで、

自分自身の過ちにも気がついたし、

一方で、

やっぱティピカルネス炸裂してんな

って、思いを強くした。

ちょっと、整理したい。

 

まず、「オラクル

この言葉を安易に使ったのがまずかった。

使う前にGold資格ぐらいとっておくべきだった。

オラクルに対するステレオタイプって、

俺にもあるんだけどよ、

って感じのステレオタイプ

俺自身の説明でも、

多くの人を誤解の渦に巻き込んでしまった。

 

実際、オラクルがそういう先輩や指導者的な役割を

負っていることは、多いと思うけど、

俺も、たぶんみんなも、

オラクルという言葉に釣られてしまったよね。

 

だからオラクルじゃなくて

物語における「メタ視点」を提供する人

といった方がよかった。

例えばさ、わかり易すぎる例で行くと、

「君が選ばれし勇者だ」

みたいなことを明示的に言う人な。

その物語における

登場人物たちの役割を

提示する存在だ。

その役割が登場人物たちの行動に

根拠を与えるわけな。

 

んでもって、俺自身が、

を明示的にわけて考えるべきだった。

俺は、この二つを混同させながら、

愚痴ってたわけだ。

 

 

じゃあ、ここから、一部のブコメに返信。

(1)

id:fumiko703 おばあさんの認知症の進行の程度は医者に見せなきゃわからんと思う。

祖母の件だけど、

心配してくれてありがとう

祖母はありがちなアルツハイマー+鬱の同時進行コンボ

MRIで脳萎縮も確認。

「大して」って書いたのは、誤解を生んでしまうね。

すまん。

本題は、

実はケアが必要だったのは、弟夫婦だった

ってことよ。

 

(2)

「文体がおもしろい

といってくれている人が数人いた。

Tokyo FMラジオ番組 Avantiオススメしとくよ。

http://www.avanti-web.com/index2.html

 

(3)

id:mantrapri 自分一人で「私は自己を相対化できます」っていっても、多分嘘なんだなぁ。

id:zatpek 「自己解決する子供」が子供ロールモデルとして採用されるのは心配。

ナイスコメントだよ。おじさん嬉しいよ。

おじさんの危惧はそこにあるんだ。

よくあんな誤解を生むヘンテコな文章から、

俺の言いたいことを言い当てるもんだ。

すごい。

まったく、誰だよ

「はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。」

とか、ぬかした愚者は。

同じおっさんとして恥ずかしいね。

 

(4)

あと、 y_arim には反応しとかないといけない。

id:y_arim 「見ていてほしい」「全部分かっててほしい」って言うよね。オリオン座とか亜美とかに。これがoracleの代替なんだと思う。口は出さず見守っていて、と。それが思春期少年少女の気持ちなんだ

懐かしい気持ちになったよ。

 

高校漢文の授業で、

「あなたにとっての“伯楽”とは何か、書きなさい」

という課題があったから、

「私にとっての伯楽は宇宙人だ」

って書いたことを思い出したよ。

俺、ハ○ヒとなら上手くやれたと思う。マジで

 

で、そのときはさ、先生

「実在しないものを伯楽と捉えるのはおかしい」

みたいな講評をもらってさ、

「こいつ、わかってねぇよ」

って、思ったんだよ。

 

伯楽ってのは、

才能見出して、

 自分を世にプロモートしてくれる存在

なわけだから、人間社会にいる以上は、

伯楽は人間以外にありえないって

今なら思うけどさ。

当時は、宇宙人だって、そう思っていた。

 

あと、 日記も読んだけど、

読解について納得できる部分が多い。

ただ、読解後の解釈、というか考え方の面で、

おっさんとして、

突っ込まざるを得ない部分があったから突っ込んどく。

作中では亜美も、彼女を超えるパーフェクトな存在と思われていた「兄貴」こと生徒会長狩野すみれも、ただのガキでしかないことが暴かれていくのだけれども。

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090209/1234169785

完璧超人 じゃなかったら ただのガキ」

っていう、二項対立のことなんだけど、

たまたま、こう書いただけ?

あと、脚注

もっとも、各所できっちりと少年少女の全能感を去勢しているあたりが『とらドラ!』の個性だとは思う。

と書いてあるね。

「全能感 or 無力感

の二項対立かな。

 

id:y_nob 6巻を読んでいて実乃梨が竜児に「亜美には全部わかっていて欲しい」いう心情を吐露するシーン。人にすがる実乃梨に微かに嫌悪感?を感じた。

その感覚。若い子に共通かな?

完璧超人 じゃなかったら ただのガキ」

と一緒だけど、他人に厳しすぎじゃねぇか?

「俺は他人に期待せず頼らず生きていく」

っていうのは、

パラドキシカルな他人への過剰期待のバイスバーサだろ?

「他人が自分に期待しないこと」を期待するという、

期待の脱期待化の失敗だろ?

(ここ、笑うところな)

 

(5)

今の若い子達はさ、

場面場面で、異なった役割を演じなければならない、

っていうのはわかる。

キャラ立ちだろ?

若い子だけじゃねぇ。

おっさんも不安定だ。

現代社会のティピカルネスだよ。

だから、

古いステレオタイプオラクルって

必要ないって俺も思うよ。

っていうか、

多くのブコメであるように、

そもそもそんな存在

もういないよな。

 

でも、みんなそれで困ってるんじゃねぇの?

 

(6)

おまけ

id:inumash ロック好きにはこの感覚は良くわかんないなー。「オラクル」は『否定する(される)ための存在』としてしか認知されないから。

B'zのさ、「敵がいなけりゃ」って曲があるね。

否定すべき存在がなくなったとき、

ロックは何を否定するのよ?

誰か 敵がいなけりゃやってられない

それが俺の道しるべだ

何も持ってないのはつらいこと

だからお願い 俺のカタキになってよ

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND13134/index.html

2008-12-23

おしっこが黄色い!

近所に、全国的にまぁ有名なラーメン屋さんの支店があるんだけど、

かならずそこに行った日は、おしっこが濃い黄色になる。

・・・てな話をなにげなく検索してみたら、けっこう有名な話だったので苦笑い。

店名出していいのか分からないけど、さっぽろ純連(すみれ)。

わりと塩っ辛いから腎臓にキてるのかと思って心配してたら、

野菜さっぷりビタミンBの効果ですか、そうですか(苦笑)

2008-03-22

今週の短歌

鶯のなけどもいまだふる雪に杉の葉白き逢坂の山 (新古今集 後鳥羽上皇

春の苑くれなゐにほふ桃の花した照る道にいで立つ娘子 (万葉集 大伴家持

月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして (古今集 在原業平

石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも (万葉集 志貴皇子

吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ (新古今集 西行法師)

桜花命一杯咲くからに命をかけて我が眺めたり (岡本かの子

見渡せば柳桜をこき混ぜて都ぞ春の錦なりける (新古今集 素性法師

移りゆくはじめも果てもしら雲のあやしきものは心なりけり (大田垣蓮月)

なにごとを春のかたみに思はまし今日白河花見ざりせば (後拾遺和歌集 伊賀少将

山吹の咲きたる野辺のつぼすみれこの春の雨に盛りなりけり (万葉集  高田女王

風に散る花の行方は知らねども惜しむ心は身にとまりけり (西行

ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ (細川ガラシャ

八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を (古事記 スサノオノミコト)

数ならぬ心に身をば任せねど身に従うは心なりけり (紫式部

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける (紀貫之

もの思へば沢の螢もわが身よりあくがれ出づる玉かとぞ見る (和泉式部

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