ああいう人達って、チー牛という言葉が生まれる前から見た目について周りから文句を言われてきたと思うんだけど、どうしてもその見た目にならなきゃ駄目な理由でもあるの?
それでも言われるってことは、言ってる側は相当我慢ならないってことじゃん。
でも嫌がってる側の嫌がり方がどんなに態度悪くても、嫌がられている側のやってることが消えるわけではないんだよ。
普通は言われない文句を言われてしまうほど人が嫌がる見た目になるように髪型を選び服を選んでいる。
そこまでしてそれをやり続ける理由ってあるの?
まぁ、あるなら仕方ないと思うよ。
でも、ぶっちゃけそんなのないよね?
特に何のこだわりもなく何も考えず適当にやってきた結果、その見た目になってるんだよね?
ならやめるべきだと思うんだよ。
だってそれってやらなくてもいいことじゃん。
やらなくていいことをやって人から嫌がられるって、何も得るものがないんだから。
そこで、自分は何も考えずなんとなくやっただけなのに悪く言うなんて許せない!とか言い出すのはおかしいよ。
完全に自分を疑うことができない、謝れない人になっちゃってる。
繰り返しになるけど、どうしてもやめられない理由があるのにそれをわかってもらえなくてチー牛呼ばわりされているならかわいそうだと思うよ。
でも、見た目に限った話ではなく特に理由がなくやったことが人から嫌がられてしまったら、普通はやめようとするよね?
実際にやめられるのかどうかは別としても、少なくともこれはやらない方がいいんだとは思えるはず。
そんなことするような感じじゃない、どちらかと言えば善良な雰囲気の人達が、なぜか見た目のことになった時だけ人の嫌がることを絶対にやめようとしないのは本当に不思議なんだよな。
ファッションが優先度どこに来るかって個人差激しいよね 低い人のそれを上げるって無理だと思う
チー牛って見た目で定義されるのか