ここでフェミニズムを云々する気はないが,しかし,世の女の子たちが,こうした女の子を重層的に徹底的に商品化しようとするーーアイドル的ーー視線に回収されることはなぜなのか,いつも考えている.
その中で,『『暮し』のファシズム』に挙げられていた『女学生』とかも繋がっていなかったかと連想する.
『りぼん』読者が“かあいー”付録をいつまでも捨てなかったこと.でじこがふと見せる高度に記号化された“萌え要素”の中に垣間見せる要素に還元し得ない“少女”としてのかわゆさ.
全て動員された.もはや空白はなく,全ては虚しい.
Permalink | 記事への反応(0) | 21:26
ツイートシェア