よく分からんけど、各自「自分ができる社会貢献」をすりゃええ話なんでないの?
男だから「男らしく社会貢献」、女だから「女らしく社会貢献」を強制して、自分に向いてない貢献強いられるより、各自がいちばん得意なやり方で貢献したら一番効率いいじゃないですか。
なんで人によっては苦手な貢献の仕方を強いられなアカンの? ……っていうのが「らしさに縛られない」という話だと思うんですけど。
この人の話ってどっかゆがみというか嘘があって、それを自分で誤魔化してる感じ。社会に出て何かをあきらめなきゃ、ってなったときに、「だって私は女だから」というのを言い訳にした自分を認められなくて、他人を攻撃することでそれを覆い隠してるだけだよ。「女だから」という理由で誤魔化さないで頑張ってる人を認めたら、自分の選択の嘘が崩壊するから。それを直視できないだけ。
実際こういうリベラルの風潮に乗った物言いは正しすぎるほどに正しいんだが 大抵の人間は「ジェンダーロール以上のキラキラした貢献」なんかそうそうできないから、そこから降りた...
「自分ができる社会貢献」と確かにリベラルが言ってきた。 でも、それは、身体が弱い障碍者の男も、子供を埋めない身体問題のある女も、できるだけ役割を果たせばいいよね、という...