もしリレーで勝とうと思えば、その子はリレーには出られません。
でも、その子もクラスの勝利を思うのなら出ないことが嫌ではありません。
そもそも走るのが苦手なのですから。
このように人には得意不得意があります。
だから無理に不得意なものを追求する必要はなく、それよりは得意なものを伸ばしたほうがいい。
人それぞれ。個性があって、多種多様な価値観を認めるのがいい社会なのだから。
ならば当然、政治が苦手な子もいます。
そういった子の代わりに政治家がいるのですが、その政治家を決めるのは政治が苦手な子です。
政治が苦手な子が、どうして政治家の質を見分けられるのでしょうか?
ここに民主主義社会の問題点があり、平等に選挙権を与えることの弊害があります。
宮台真司の論説をやさしい言葉で説明すれば、こういうことだと思う。
Permalink | 記事への反応(1) | 13:10
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料理が苦手な子には優れた料理家を見分けることが出来ないとかそういう話? サッカーが苦手な子にはサッカー選手の質を見分けることはできないとかそういう話?