2022-04-02

手の中のそれは何か

価値とは何だろうか。

寝る間も惜しんで創り上げた作品は、己の中では最高級の、唯一無二の宝石だ。

しかし、人間とは欲張りで、その宝石を自慢したくなってしまった。この価値を信じて、ネットの海へと放り投げてみる。

すると、その宝石はどうやら、周辺に転がる石と同じか、もしくはそれ以下だったようで、あっという間に海に飲み込まれていった。

いいね数2。それがこの石への評価であり、価値であった。

それは単純な話で、価値提示するならば、本物の宝石を生み出す技術をひたすら磨くべきなのだろう。しかし、他者評価を受ける前までのそれは、間違いなく本物であった。

とすれば、自分の中だけで価値を付ける限り、永遠に幸せでいられたのではないか。例えそれが虚構だとしても、明らかな逃避であっても、それを見ていない限り、他者には関係がないことだ。

しかし、今日も己が生み出すものは、きっと石だ。価値を知ってしまった今は、もう夢さえも見ることができなくなってしまった。

価値とは何だろうか。

例え他者にどう思われようと、己の中の宝石を守り続けるべきだったのだろうか。そうしたら、今頃私はそれを手に、笑えていたのだろうか。

手に余るほどの石は、非常に重たくて、煩わしい。

  • 相対評価で幸福を測るやつは不幸せになる、と、アドラー先生は仰っている。 お前はその境地に至ろうとしている。   だが腕利きの職人になりたいなら、客観的な事実を知ることが重...

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