百済系の聖徳に、北魏末鮮卑の天武が壬申の乱
百済系の桓武の末の平家に対し、鮮卑源氏が鎌倉幕府をたて、さらに後醍醐が古来百済系勢力から土地を奪う
など、朝鮮系対モンゴル系の動乱史があり
徳川以降はプロテスタント忖度の合法カトリック虐殺があり
勢力の対立があるからこそ独立の憲法裁判所が要されるところ、逆コースGHQの吉田茂がバックレたまま、
忖度の植民地文化は、いまだに法制と司法の風見鶏ぶりに現れている
Permalink | 記事への反応(0) | 12:51
ツイートシェア