身分証や手続きの日付が年号を用いた書き方になっているのは国際化の波に乗り遅れているという主張を見ることがある。
しかし、それが良いか悪いかは別として国際化という文脈で語るのであれば、元号に対応できてないシステムのほうもまた「国際化できていない」のである。
国家同士の結びつきを強める (あるいは少なくとも意識する) のが国際化であり、その手段として規格をひとつに揃えることと相互乗り入れを可能にすることのどちらが正しいということはない。
仮に規格を揃える場合であっても「俺の方がスタンダードだ」と主張していかないと飲み込まれてしまう魔窟が国家の駆け引きなのである。
それでいて表向きは善人をよそおう必要もある。