2021-06-25

好意暴力

好意というのは向けられるだけお得でありその人の徳を示す、という価値観一世代前のであった。

かに考えてみれば、好意すら向けられない虫けらのような人生よりもそちらのほうが遥かに良い。

だが世の中がより豊かになり、好意を向けられぬ虫けらの人権尊いという価値観が広まるにつれ、

もはや好意というのは向けられれば無条件の喜びを得られる概念ではなくなってきたのが今の時代

害意なく純粋にその人を好きになるだけで人を傷つけるという論理が成立する世の中になったのだ。

その人を好きになっただけでも、相手とお前との関係次第で純粋性が阻却されて害意が認定される。

可愛いキレイ、美しい、守りたい、助けたい、力になりたい、求めたい、その全ては暴力なのだ

暴力はすべて阻却され、否定され、憎まれるというのであれば、私も色んなもの否定したくなる。

否定することこそが称揚され肯定され正義であるというのであるなら、その理屈に従って生きたい。

  • この世のあらゆるものは暴力だぞ。 暴力こそ正義、暴力こそ美だ。

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