灯りをがなくなったら、道が分からなくなってそのうち力尽きる運命になった事を自覚する感覚。
灯りがなくなっても、道を間違えさえしなければ助かる可能性がある、という儚い希望が残っているのが逆に怖い。
灯りが消えた瞬間の、「ここからは下手に操作して現在位置が分からなくなると本当に帰れなくなる。マップを確認しよう」という緊張感。
たいまつをどれくらい持っていくのか、という準備段階から、「これからダンジョンに挑む」という感覚がして良い。
DQ2でダンジョンが基本的に丸見えになってから、日本のRPGはどんどん親切なヌルゲーと化していった。
マッピングしなくても死なないダンジョンなんて、色違いのフィールドでしかない。
Permalink | 記事への反応(2) | 18:18
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ドラゴンや吸血コウモリがいる洞窟を松明いっぽん一人で探索 本物の勇者
DQ1には「遭難して死ぬ」というリアルがあったんや。 「あー、あと何回かは戦闘に耐えられるけど、これもう生きて戻れないな」 という確定的な死を予感する怖さがあった。
一番怖かったのはDQ1だけど一番厳しかったのはDQ2だよね。
あれは「生きて次の目的地にたどり着く」のに準備とレベル上げが必要なゲームだった。