気になってた人が結婚するらしい。
それを聞いたとき、表面上はかろうじて「おめでたいことですね!!」と社交辞令を述べることができたが、内心穏やかでなかったことはいうまでもない。
相手はどんな人なのか、私には何のチャンスもなかったのにそのチャンスを得たその人は一体どれほどの人なのか、どうやってそのチャンスを得たのか、なぜ私ではそのチャンスを得られなかったのか、こんなにもいい女をものにできた見知らぬ人がうらやましくて憎々しくてしかたない、私にはいい女をものにすることができるほどの魅力も価値も能力もまるでなかったのか、あと何がどれだけ足りなかったのか…そんな感情しか出てこなかった。
本当に自分のことしか考えない、自己中心的で傲慢な人間である、大人の皮をかぶった赤ん坊にも等しい幼稚な発想だ。
しかしこういうときに心の底から100%本心で相手を祝福できる人って現実にいるの?
こんなときにまで聞き分けのいい、できた大人でいなくてはならないの?
「なんで私じゃないんだよチクショー!!」ってのが偽らざる本心なんじゃないの。
チャンスがなかったなんてこと現実に本当にあるのかね
行動したときには、既に他人のものになっていた、という場面が多すぎる。 チャンスを的確に見定める力がなかっただけか。