得してる人間をなんとなく「ずるい」って思う心は大事なんだよ。
他人に不利益をもたらしながらも、ルールに則って利益を得ている奴らはいくらでもいる。
「ずるい」って思う心はルールの穴を利用する悪党に対する違和感を育み、論理的な制裁を加えていくための動機を生み出す。
「本当に現行のルールは正しいのか?理不尽はないのか?」と思う気持ちを失ったら世の中は小狡い悪党ども意のままだ。
大事なのは感情を論理で制御することであって、言葉尻を取り繕うことではない。
感情のまま他人を殴るのは悪だ。
だが感情はなければ論理を巡らせる機会すら失う。
「ずるい」を単純に「羨ましい」に置き換えるだけでは、小狡い悪党を見習って小狡く生きることを肯定するも同じだ。
Permalink | 記事への反応(1) | 20:45
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ニーチェとヘーゲルでなぜ貧乏人はニーチェを読むのかだな 「ルサンチマンと現代資本主義の支配」とかの題で増田研究してくれ