一般に、過去の栄光や思い出にすがるのは成長がないなど、マイナスの意味にしか捉えられない。
過去の栄光や思い出はあってもよいが、あってもさして役に立つものでも価値のあるものでもないとされがちである。
確かにその事実は認めざるを得ないところだが、焦点を死ぬときに向けてみると捉え方が変わった。
死ぬときに考え得ることは、現在または過去のことのみである。
残念ながら死にゆく者に未来はない。
その死の瞬間、考えても決してやって来ない未来のことより、過去の栄光や思い出に浸りながら幸せな気分で死にたいではないか。
そう考えると、たとえ稚拙で価値の低いと思われる栄光や思い出だとしても、それらをたくさん集めておいたほうが死に際は幸せな気分で往生できるではないか。
それならば無意味と思われようともたくさんの栄光や思い出を作りながら生きたほうがいいじゃないか。
Permalink | 記事への反応(1) | 19:12
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まあここに書いてるじてんでお前には無理だろ