小説にはストーリーを語るものと、心情を語るものがあって、私小説は心情を語るものだと思う。
でも、作家個人の心情は知ったことではないが、その時代の人がどんなことを考えていたのかという点には少しは興味がある。私小説はその時代の気取った?意識の高い?人たちがどんなことを考えていたかという歴史資料としては価値があると思うのである。
なろう系小説はストーリーを語っているように見えるが、実質的なストーリーには差はあまりなくて、それよりもむしろ作者の心情を語っていると考えたほうがよいのではないかと思うのである。文体とか文章とかいうものを完全に無視すれば、これは私小説に近いのではないだろうか。
そしてやはり、この時代の気取らない?意識の高くない?人たちがどんなことを考えているのかという歴史資料として価値があると思うのである。
ししょうせつが嫌いです わたししょうせつが嫌いです
有象無象に価値なんてない。