2020-01-21

anond:20200121093733

ウェーバーによれば、かつてカルヴァン派の予定説(神は万能であるから誰が救われるかは予め神によって運命として決められている)を信仰するようになった人たちは、

「どうせ運命によって救われないのが決まっているんだから努力なんてしないよ」

ではなく、 

運命によって私は救われるはずなのだからわたし努力する人間のはずである

と考えるようになり、結果、シャカリキ努力したのだという。

 

もしも遺伝環境が、かつて信じられた神の運命と同じくらい変えようのない絶対の要素なのだとしたら、現代人の心にも似たような反応があるはずではないか

遺伝環境絶対のもので覆しようがないとしても、今の人類遺伝環境の具体的内容を知ることができない。ある人物環境の不利を覆す遺伝を持っているか持っていないかは、やってみないとわからない。いや、お前自身はもうやってみたのかもしれないが、その遺伝は例えば老年になって働きだすのかもしれないし。

結局のところ、遺伝環境絶対を信じていてかつ成功を求めるなら、努力はする。努力しないのなら、遺伝環境によらない偶然をなんだかんだ信じているか、あるいは成功など求めていないのだろう。

記事への反応 -
  • 環境は変えられるっていうけど、変えようと決意して実行できるかどうかも結局遺伝とそれまでの環境次第なわけじゃん 人間にできることってなんかある? って考え方だと犯罪者にメチ...

    • Mウェーバーによれば、かつてカルヴァン派の予定説(神は万能であるから誰が救われるかは予め神によって運命として決められている)を信仰するようになった人たちは、 「どうせ運...

    • 人間の性格なんて5割は後天的なもんだろ

    • 犯罪は責任の所在を決めるのに自由意志を想定しないといけない。しばらくはそれで上手くいってたんだけど、遺伝の研究が進んで遺伝の割合が多いってわかってきたから、自由意志は...

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