確実に言える事としては、twitter上では「もの」で繋がっているように見えて実際は「人」同士の繋がりであること。
そして、そのtwitterにしか心の拠り所がないというのならばそれを受け入れるしか無いのではないか?
相手に改善を求めた所で相手にとっては「人のための話」が興味のある話である訳で、おそらく何も変わることは無いだろう。
勝手に考えたことだから参考にするかどうかは任せるが、そのクラスタに属する人間に「もの」を発信するためのアカウントを別で作らせてみてはどうだろうか。
普段使いのアカウントで呟いた0.1%の「もの」についてのツイートを、その人の「もの」アカウントでRTしてもらうだけでもいい。
「もの」の話だけ見たい人はそれだけ見ておけば、見たくない話を見て腹を立てることも無くなるだろう。
勿論、相手にアカウントを別で作らせる必要があるという点ではハードルがあるが、多数の人間にとってメリットが生まれるはずであるから是非とも検討してみて欲しい。
「好きなもの」「好きなものが好きな人」「好きなものを好きな人が好きな人」 この全部が好きになるとは限らない。 では距離を置こうと思うが現代のコミュニティシステムでは難し...
つまり自分の興味のない話は見ると腹が立つからするなって事だろ?自己中心的な考え方だなあと率直な感想。 わざわざ「嫌い」を自分の中で増幅させてまで、たった0.1%の自分にとって...
でもそれは他に心の拠り所のある、選択肢に余裕がある人の観点でしかないですよね。 それ奪われたら何も残らないって人はどうしたらいいのか…
確実に言える事としては、twitter上では「もの」で繋がっているように見えて実際は「人」同士の繋がりであること。 そして、そのtwitterにしか心の拠り所がないというのならばそれを受...
人間は自分と好きなものが同じじゃない人を嫌う人が相当に多いということだよねえ。
私は生活実態のないネットひきこもりで~す、 気の狂った萌話を受信したいひとだけフォローしてねっていう人おる 自分がほんとうはどうしたいかが自己解決できるまで へんにコミュ...