バランスを取る義務はないけど、それに対して「バランスが悪い」と批判が出るのは当然だし、そのような批判をしてはいけないという理由もない。
出す側もそういう非難を受けることは当然想定しておかないとダメでしょ。主張はするけど批判はするな、では通らないしそれこそ表現の不自由を自ら作り出していることになる。批判だって表現だからね。
なるべく批判を避けたいならバランスを取ればいい、バランスも取らずに批判するなと注文をつけるのは表現の抑圧、って話かと。
それに、左が抑圧されることが多いって言われるけど、つい最近で言えば子どもの乗物絵本に自衛隊のページが多く割かれていたって批判が出て増刷中止になった。
これも立派な表現の不自由。そういうものを持ってこず、左寄り、特定の国寄りのものばかりを集めているのだから恣意的と批判されても否定のしようがないよね。
主催者側が左翼だから展示のバランスが悪い論ね バランスが悪い、のは認めるけど そもそもバランスを取らないといけない理由は?
バランスを取る義務はないけど、それに対して「バランスが悪い」と批判が出るのは当然だし、そのような批判をしてはいけないという理由もない。 出す側もそういう非難を受けること...
展示の内容に恣意性はあるかもね その点では左翼側も批判されていいのかもしれないけど しかし問題はあくまで展示内容が不適切かどうかでしょう 本来それらは個々の作品の論評か...
バランスが悪い → 芸術的意義よりも、その裏の政治的意図の方が本当は強いんじゃないの? という批判が当然出てくるわけで。 そもそも主催者自身が、かつて国粋主義的な匂いのする...
主催者に対してそういう指摘自体はありと思うよ だけどその場合、主催者が意図的かどうかを証明できないといちゃもんにしかならないよね? それに意図的な政治主張がなぜダメなのか...
意図的な政治主張は別に構わないと思うよ。それを「表現の自由」でカモフラージュしてるのが問題。 自分の家を建てる資金の援助を求めるときに「公共の福祉のための施設を作ります...
その例えと現状実際に起こってることは違いますね トリエンナーレにおいて津田さんは虚偽の申請はしてないです
そいつすごく将棋とかオセロとか弱いと思う
それこそ表現の不自由だからじゃない? 何かをやって結果が偏る場合は何か作用してる結果なわけで
最初から私たち左翼の不自由展とでも銘打っとけって話だしな それしか興味ないんだから