天才って呼ばれる人、たとえば「料理の天才」が居るとして、その人が飛び切り美味い!という料理を作れるから「天才」と称されるとする。
でも「美味い!」っていうのはひとつの可能性であって、絶対的なものじゃないのよね。
その時代とか、文化とか、人の嗜好に合うかどうかが重要だと思うんだ。
そして「天才」と呼ばれる人は、自然とその「美味しい味」を作り出すから「天才」と呼ばれると思うんだけど、
でも「美味しい味」自体が絶対的でなく偶然的なものだから、その天才が「美味しい味」とされる味を作り出せるのって、それはもうただの偶然だよね。
自分の感性で作る味がたまたま「美味しい」と言われるような、その時代にそぐうひとつの「味」であっただけで。
すると、天才って言うのは個人で生まれるものじゃなくて、結局はその時代とか、周りが呼称して作り出す幻影のような存在じゃないのか?
それだとまるで、凹にぴったりとはまるという理由だけで凸を「天才」といっているようなもので、独我的な天才なんて結局居ないのだと思う。
「勝てば官軍負ければ賊軍」みたいに、実は「天才」が正しさを作るんじゃなくて、正しさという恣意的な環境が「天才」を定めてるだけな気がする。
まず「天才」を定義してもらわないと。
文字通りでは 天が与えたこの才能! この俺を誰だと思ってやがる!