おっぱいをついつい男性は目で追ってしまう。
おっぱいがそこにあったら考えずにいられないし、見ないことを意識して不自然になることもある。
これはおっぱいに対する暗黙の了解、分別知以前の刷り込み、授乳という生物学的に避けられないイベントなど複合要因が
現在の我々のおっぱいへ対する認識を作り上げている。これを打破するにはどうすれば良いのか?宗教しかない。
おっぱいは邪悪だと教えるのだ。おっぱいは人を堕落させ地獄へと誘う悪魔の二つの使いだ。(双頭の何ちゃらとか呼べば良い)
そうすれば教義に帰依した信者はおっぱいを平気で見るだろう。哀れな邪教徒を見るがごとく。
さすれば悪魔的なサイズのおっぱいと相対しても人間性を保持できる。
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