あの父親と娘の会話は、愚か者には見えないというふれこみの服を着て歩いているのを見た子供が、「王様は裸だ!」と言った、っていうのと同じレトリック
裸の王様に限らず、
「純真な童子の言動が、大人に過ちを悟らせる」
という観念を、童話や昔話などで植え付けられている
一方で、一休さんは壺が割れたのをダシにして、和尚が独り占めにしてた水飴を平らげた
利己的な大人の上を行くずる賢さである
かように、子供だっていつも善良というわけじゃない
ちなみに「裸の王様」には続きがある
王様を騙した詐欺師たちはまんまと隣国に逃げおおせたという
その国の美しい王女にも同じように、見えない服を売り込み、やはり信じた王女は自ら先頭に立ってパレードへ
群衆の中の子供が「王女様は裸だ!」と言おうとしたら、周りの大人が黙らせて、その後も何かにつけてパレードが行われたそうな
子供がおかしい・へんだ・きもちわるいというものは全て悪とはいえないことは、この後日談でも分かる
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