937年に生まれる。
政治に関しては全くの無能だったが、芸術家としては優れた才能を見せ、華やかな宮廷で贅沢をしながら素晴らしい詞を作っていった。
彼が作らせた文房具は、いまなお中国史上最高の品質と謳われ、後世の文人たちに珍重されている。
また、お気に入りの宮女の足を縛って、黄金で作られた蓮の花の上で踊らせたことがあり、それが「纏足」のはじまりであるという。
当然ながら国としては衰退し、あっけなく宋に攻め滅ぼされて、幽閉された。
その後、彼の詞は深い憂愁と望郷の念とが入り交じる作風へと変化し、皮肉にもさらに高く評価されることとなった。
978年、李煜の詞を聞いて激怒した宋・太宗に、あまりの苦しみに身体を何度も折り曲げて死ぬという「牽機薬」という毒を盛られて亡くなった。
コンパクトになって死ぬのか
頭と足がくっつくくらい身体を折り曲げるのを何度も繰り返す、みたいな感じらしいよ。
大分昔の伝説だろうに、纏足が悪行という概念があったのか。
おまえ、見たのか
前世の記憶が残ってた
なら、いい。疑ってすまなかった。