2017-12-22

間違いなく悪いことは何なのか考えている

間違いなく悪いこととは何なのか考えている。悪いことというか間違いなく嫌なことというか、そんなことを考えている。

死は間違いなく悪いことだろうか?たしかに悪いことや嫌なことは、必ずといっていいほど死へとつながっている。

お金がないのが嫌なのは、食べられなくて死んでしまうことが嫌だから。着るものや住む家がなくなって死ぬのが嫌だから

人に見下されたり嫌われたりするのが嫌なのは、そのことで孤立して食べ物を売ってもらえなくなったり、必要な助けが得られなくなったりして死ぬのが嫌だから

きっと、全ての悪いこと嫌なことのその「悪い」「嫌だ」の理由は、「間違いなく悪いこと」である死が関係している。

本当にそうだろうか?

間違いなく悪いことは、「惨めに生きること」ではないだろうか。

お金がないのが嫌なのは、惨めに生きるのが嫌なのではないだろうか。

人に見下されたり嫌われたりするのが嫌なのは孤立するのが嫌なのは、惨めに生きるのが嫌なのではないだろうか。

惨めに生きるくらいなら死を選ぶというのなら、死よりも間違いなく悪いこと嫌なことは「惨めに生きること」なのではないだろうか。

問題は「惨めに生きている」とは、誰が判断するかだ。そして、誰が判断したときに間違いなく悪いことになるかだ。

「あの人は惨めだ」と後ろ指を指す人がいる。「惨めだ」と言われた人は、自分は惨めなのだと落ち込み嫌な気持ちになる。「自分は惨めなのだ。惨めに生きるくらいならば死んだほうがましだ」と考えるかもしれない。

かと思えば、人から「惨めだ」と言われても、気にしない人もいるだろう。「自分自分のことを惨めだと思わないのだけど、人から見たら惨めに見えるらしい。ま、いいけどね」と。

さらに、人から何を言われたわけでもなく、人から見た自分について考えてしまう人もいる。「きっと人から見たら自分は惨めなんだ。こんな惨めに生きるくらいならば死んだほうがましだ」と。

さらさらに、こんな人もいるかもしれない。「自分自分のことを惨めだと思う。人から見たら惨めには見えないかもしれない。けれど、自分自分のことは一番よくわかる。自分は惨めだ。こんな惨めに生きるくらいなら死んだほうがましだ」と。

誰にどう思われようとも、自分自分のことを「惨めに生きている」と思ってしまうのが一番「間違いなく悪いこと」に近いように思う。

では、間違いなく悪いことではなく、間違いなく良いこととは何なのだろうか?

  • 君の答えは文学や哲学の世界にあるよ。 地獄への道は善意で舗装されているのよ。 いらっしゃい正さがない世界へ。相対化の極北へ。

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