前からそう、いつもその人がいた場所にはほのかに香りが残っている。上品で甘過ぎない大人の香水だ。残り香に触れるといつまでその場所にいたのかもわかる。香りが薄い時は随分前に出ていったのだろうなとか、香りが時間さえ教えてくれる。
平安時代には香を衣に焚き込める習慣があって、枕草子なんかにも記述があるけれど、昔から人の残り香を恋しく思うのは変わってないんだと思った。別にそれが恋愛感情でなくとも、知っている人の香りはその人に関する記憶を呼び起こさせる。それが何となく人恋しさと結びつくんだと思った。
憧れのその人には私は、経験も人柄も何も及ばないような存在だけれど、少しでも共通点を持てたらと思って、最近初めて香水を買った。いわゆる香水デビューだ。柔らかくて石けんのような香りを選んだ。本当はきっと、もっと特徴的な香りを選ぶべきだったんだろうけど、緊張して買えなかった。でもそれでいいのだ。この香りは誰かに私を恋しく思わせる必要はない。あの人との接点ができればそれでいい。