体育会系的思考であることは別にそこまで悪いことではないと思う。
実際、体育会系の序列を意識した考え方って、相手のことを立ててる限りは物事を円滑に進めるために大きな武器になると思う。
だけど、それを、自分が体育会系であることを、外に向かって口に出した瞬間にその体育会系の精神は死ぬと思うんだよね。
体育会系的思考を相手に強要しかねないその、「自分は体育会系」アピール。
そしてそれは大抵、非体育会系的思考の人のことを否定するときに使われている。そもそも自分の属性をとりあげて他者のある一定の言動を受け入れられないとかって宣言するの、ある意味潔くないというか、陰湿というか、それこそ体育会系の精神みたいのものに反してると思うからもやもやするんだよな。うまく言えないけど。
あの人は体育会系だよな、とまわりの人が察するくらいがちょうどいい。