最近は人のお買い物に付き添うことが多い。
アドバイスも口出しも何もしない。見てるだけ。
そして、買い終わったあとに、「良いものを買いましたね」というのみ。
何回もその現場に立ち会うたびに、自分の買い物について考えるようになっていく。
M氏はいつも何かを求め、毎回妥協して同じような何かを買っていく。
満たされない心を妥協で埋めているように見えて悲しくなる。
私も買い物をしているときはそのような感じなのであろうか。
そうして、M氏妥協で手に入れてた何かは私のところに回って来ることが多い。
それらは私をとても困らせる。
他人の妥協を受け入れることに疲れているくせに、自分自身が自分に妥協したものを与えていることを目の当たりにしているからだと思う。
白いコートが欠乏している風貌をしているのか?と悩んだが自分にとって不必要である。
M氏は勘弁な白いコートを見つけるまで、その残骸を私にくれるのだろう。
私は私に白いコートを与えたくない。
私はゴミ箱だ。
好みでは無い服、サイズの合わない服、時代遅れの服が増えていく。
妥協し過ぎると、他人のゴミで自分が埋まってしまうぜ!白いコートしか着ることが出来ない。
物はいらない。貰いたくない。
私はゴミ箱では無い。
連絡しなければいけないのに、億劫で出来ない。
私は冷たいのか?