能力がありかつ勤労意欲がある人だけが働き、そこからこぼれた人たちはベーシックインカムで暮らしていく、というのは一見合理的です。しかし、ほんとうに労動を必要としているのは、むしろこぼれおちた側の人たちではないでしょうか。
もし能力がない人たちから労動を奪ってしまったら、その人たちは自己の存在を社会のなかに定義することができるでしょうか。スマホゲーくらいしか暇つぶしの手段を持たない人たちが、労動以外に社会とのつながりをもつことができるでしょうか。
きっとお金儲けがうまい人たちはその人たちの心情をたくみにくみとり、適度に刺激があるコンテンツを与え続けることになるでしょう。しかしそのような状況に善良な市民は発狂し、集団自決・テロの引き金となることは想像に難くありません。
仕事の能力がないってことは、すなわち社会と関わりあうのが不得手だってことなんだから、社会の中での立ち位置なんか求めてねーよ。