学生がボランティアに行くことは歓迎。若くて体力のある人が動くべきだと思う。
しかしそれを学校からの単位や履歴書に書くために行く人が居るという指摘、批判がある。
偽善は別にかまわないけど、「偽善」という曖昧な表現で批判をだらだらと続けても意味が無いんじゃないか。
要は「単位や履歴書の穴埋めのためのボランティア」は「金を貰うボランティア()」だ。もうボランティアでは無いんだよ。
なのに学校はそれを許容する。教育をする立場の人がボランティアは報酬がでるものだと教えているのだ。
なんかそんなことを、もっとサラッと森博嗣が十数年前の何かに書いていた気がすると、思い出したよ。
それにとても共感したんだ。
リアルに金がもらえるわけじゃないんだから、どうでもいいだろ。
履歴書にボランティア経験を書くのって、無給残業もやれますの意味だと思ってたわ。 海外だと刑罰でボランティアさせるし、ボランティアを神聖視もどうかと思う。