安全地帯から滑稽なものを揶揄するのが笑いの本質。(いわゆる”お笑い”に限らず)
毎度毎度カツオにボールで盆栽やら窓を割られる人の気持ちは?
何回も風呂にのび太やドラえもんが入ってくるしずかちゃんの気持ちは?
チャップリンの独裁者を見たユダヤ人の気持ちは?
そんなもの無視しないと笑いは作れない。
自虐だったら許せる?同じ境遇でコンプレックスを持っている人はどうする。
そして笑いだけじゃなくコンテンツとはそういうもの。
映画も小説もドラマも、オチに救いがあるかは作者次第
Permalink | 記事への反応(1) | 14:47
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お前相当ズレとんな お前が挙げた例は全部笑いじゃないぞ
お約束の定番化されていて笑えないだけで、何度も割って怒られるカツオの滑稽さ、何度もきゃーのびたさんのエッチって言われる失敗をする滑稽さ、という脚本上完全にボケパートだ...
やれやれ本気で言ってるのか。 まずカツオな。 カツオがガラスを割るのは起承転結の転ではなく起なんだ。 「ガラスを割ったら面白い」なんて低級なオチ(そもそもオチてるか?)...