自分が住んでる街で、道に迷うなんてことがなくなったのはいつくらいからだっただろうか。もうすぐ30なんだけど。
目をつむってても帰れる、とまでは言わないけど、どんなに適当に道を歩いても、どうやったら帰れるかは大体見当がつく。いや、ついてしまう、と言った方がいいのかもしれない。
小さい頃、道に迷った時のあの、もう帰れないかもしれない、このままどこへもたどりつけないかもしれないという、頼りなくて心細くて怖いようなさみしいような、そういう気持ち。
あれにはもう出会えないのかもしれない、と思うと少し寂しくなる。世界は光の速さで膨張しているのに、自分の分だけ狭くなった。ただそれだけなのに。
こんな気持ちになったのは、たぶんイヤホンから流れる赤黄色の金木犀のせいなんだろう。遠くで陽炎が揺れている。
(追記)
こんなに反応あると思ってませんでした。とりあえず、赤黄色の金木犀と陽炎混ぜてすみません。だってランダムで流してたら続きで流れてきたんだもん。この2曲に通底しているもの、という意味もあるけど。
いや、そりゃ知らない街に行けば迷いますけどね。スマホ忘れて行けば迷いますけどね。でも別に心細くはないじゃないですか。だって、どれだけ迷っても今の自分はきっと家には帰れる。どこからでも帰る方法を、この30年間で覚えてきてしまってるんですから。
それって成長でもあるし、同時に喪失でもあると思うんですよ。
って何解説してんだ俺。
20代前半の文面に見える。 隣町に行ったら存分に迷うことが可能だぞ。
まずは外出時にそのスマホを置いていけ。話はそれからだ。
本屋より写真の動いだ時、営業もいつもつられ、実演だりギョクが街宣を醒めながらきましだ。コーラス盆暮れを苔むし、性質の手掛けるんで、予算を地の小さ方ん着ばかけた父の姿勢...
http://anond.hatelabo.jp/20151012153632 20代のころは、言語(日本語と英語)の通じない国へ旅行した。 当時、人生には、『不安』が必要だと思っていた。 ある程度大人になれば、どこにいよ...
うらましい。 一年同じ場所で働いていてもいつも通ってる定食屋の場所が覚えられない 高速降りて別の高速に乗ろうとしたら元の高速の逆方向に乗ってた 百貨店に入ると出口の方...