元増田です。いろいろブックマークありがとうだ。タイトルで結論を書いてしまったので以降壮大な蛇足であったのだが、それは俺の中で判っていただけであって記述しなかった件について謝る。Twitter上でいわゆる「レトロゲーム」礼賛に対する批判が目につき、それらに対するカウンターを書こうとしたのが動機ではあったが、前述のとおりタイトルで終わっていた。
現在のゲームを批判する人たちが「ただしい」とするのはファミコンゲームのように感じる。そりゃ最初に触れたゲームの思い出やら入れ込んだ経験やらは比べるものがなく、個人内に屹立しているのだろうとは想像がつく。まずゲームたちはこのジジイ脳内の存在しないファミコンゲームに戦いを挑まなければならない。だが、それは敗北が約束された戦いだ。「昔はよかった」の一言に勝てるゲームは存在しない。
と書きたかったのだけれど、圧縮すると「ジジイ脳内のファミコンゲームには勝てない」となった。ごく少数の方には通じたようで安心している。
高校のころにファミコンとであってずっとゲーム。で、最近のゲームはマイキャラが人間のばっかりだ。昔はペンギンやらネズミの警察官やら猫の母さんやらいろいろあったのだけど、...
元増田です。いろいろブックマークありがとうだ。タイトルで結論を書いてしまったので以降壮大な蛇足であったのだが、それは俺の中で判っていただけであって記述しなかった件につ...
昔は何の説明もなく虎やワニやキツネやウルトラマンが人間と普通に会話して同じ生活してる人気漫画があったが今は特殊なファンタジー設定付き以外はそういう漫画はなくなった 何か...
日本各地に散らばってる雑なゆるキャラの殆どは、人外の外見ながらも人間と会話することは結構あるけどな。
今は鳥とか花びらとか長方形とかが主人公ですし銃も撃ちませんよ
http://anond.hatelabo.jp/20141113065603 向こうの人にはツインビーがキャンディやモアイ像と戦うのが理解できないらしい。 それは文化の違いだが、共通点として >ぶっ放したいけどできないか...