途中までは「ああ、そうなんだよ、自分もそうだったからこの容疑者のいうことが理解できてしまうんだよな」と思いながら読んでたけど後半ぐっときた。
恐ろしいことだが、彼はその高らかな自嘲のなかである勝利を得ている。彼はその神義論において絶望をもって神に勝ったと言ってもよい。どうです、神様、私の不幸があなたの義にまさったでしょう、と。 結局どうなのか? それでいいわけはないなあ。 神義論とか言い出さなくてもよいが、私たち市民は、彼が提示する絶望の義には勝たなくてはいけないと思う。
そうだ、自分は絶望から復活したのだった。それは他人からの働きかけがきっかけだったけど、そんなことはどうだっていい。