そんな当たり前の話なんだけど、「貧乏人は麦を食えと言うのか!」とよくわからん横槍で炎上した過去の事例。
しかし、まあ麦は相対的に高価になったのでおいておくとして、所得に見合った消費は必要だろ。
一人前十万円の夕食を毎晩食っても(胃腸が丈夫なので)屁でもないという人は、食えばいいんだけど、全国民が同等のサービスを受ける必要はない。
ウナギが高騰して、庶民に手が出なくなったんなら、手を出さなければよいではないか。
日々のパンに事欠いているわけではないのだ。たまに食うウナギが高くなったからこまる、それは贅沢な悩みなのだ。
海老が高いなら、食べるなよ。そんな話。
事に食料品であれば、なぜか高級嗜好品でも生活必需品の様なイメージを受けてしまう。
年にたった三回、家族で海外旅行も出来ないなんて、政治が間違っているのか?
生きることは大変だが、贅沢に生きることはもう少し大変なんだってことを考えるべきだ。
その理屈だと、生命を維持できる最低限の食事さえとれていればよいではないか、て事になりかねんぞ。
所得に合った消費をすればよかろう、ですな。 月に15万円の稼ぎで1,000万円の高級車に乗ろうとするのは不健全ですよね。差別とかでは無しに。 月に食費がこれだけで、と決まった中...
でも、自分の家には高額所得者なら買えるはずの最高級家電が揃っていないと嘆くのはどうなのだろう。 それは国や政治が悪いんか? 嘆く奴らが一定数にまで増え始めたら「国や政...