一応今の日本では、車椅子程度の障害なら「普通に」社会参加できることになっている。
できることになっている、というのが建前だったら、建前を通すために全社会が協力すべき。
差別というのは、まさにその人が「そのようである」ことを理由にして負の方向に区別されること。
ならば、今回の件は差別にあたる。
車椅子では利用できない店舗があること自体が差別である、ということになる。
もちろん、この言い方は現実的ではない。
そもそも、ある人が「そのようである」ことを理由に区別される、というのは
人間にとって当たり前のことであり、差別というのは人間の本性の一部でもある。
よって、それを解消しようと思えば不自然なことをしなければならない。
人間は平等ではない、という認識にもとづいて、あえて平等に近づこうとすること、
それが差別解消への道だ。
社会の建前が「車椅子の人でも社会参加できる」になっている以上、
車椅子の人は「完全に」常人と同じように行動できなければならず、
どんなに不自然で、理不尽で、困難に思えようとも、原理的にはそうなる。
声の大きい人問題であるような気がしてならない。
今回の件を特殊ならしめている最大の要因は、当事者のうちの一人が