「この場合どう答えるのが正解だったのか」
っていう議論が白熱することあるけどさ、あれって正解の答えが一つあってそれを選べなかったからダメだったんじゃなくて、致命的な間違いの答えを選んじゃったっていうことなんじゃないかと、最近思うようになった。
会話が成立する受け答えは無数に存在すると思う。
でも逆に、禁忌肢みたいな、選んだらそこで会話終了、失格っていう受け答えもいくつかあるんだろう。
その禁忌肢は、会話の相手のことをちゃんと知っていれば避けられるはずの選択肢なんじゃないか。
それなのに自分をよく知ってるはずの、例えば恋人や配偶者がその禁忌肢を選んでしまうのが許せないってなるんだろうね。
よく相手を怒らせてしまう人が、「何を答えても怒られそうな気がする」とかって萎縮することあるけど、そうやって相手を観察する努力を放棄してるような気がする。
鈍感な人間だというのを免罪符にして、「こういう人間なんだから理解しろ」「悪いように受け取るそっちが悪い」と、相手にだけ努力を求めてやしないか。
…自戒も込めて。