2012-11-12

夜に視る夢


 幼い頃から悪夢というもの自分自身とを切り離すことができなかった。


 もっとも古い記憶を辿ると、それは確か四歳くらいの時のことだったように思う。

 幼少期の記憶というものは往々にしてひどく曖昧で、常々そこには作詩の可能性が付き纏っている。

 俺には、幾つかの後生大事に抱き締め続けている記憶というもの存在しているが、しかし時々それらについて、実際の記憶であったかどうかが分からなくなる時がある。いやそうではない、実際にそれは俺の作詩なのだろう、と確信する時すらある。何度となく思い返すにつれテープが擦り切れていくように、記憶の強度というものは想起を繰り返す度に減っていくのではないか。そしてそのテープが磨り減るという現象は、多くの場合自分にとって幸福ものと見做された記憶に限って起こるのではないだろうかと思う。

 何人もの大切な人がいたように感じられる。でも今にして思えば、俺がその人々に対して抱いていたと記憶している感情が、ほんとうのところ真実であったかどうかに自信は無い。


 前置きが長くなった。夢について。

 悪夢に関して最も古い記憶は四歳の頃になる。


 俺はその夢の中で、風景のないのっぺりとした空間に立っていた。そして何かを振り回している。ぐるぐると回っている。その手には鎖が握られていて、その鎖の先には鈍い色をした重りのようなものがついている。それを握ったまま俺はその場でぐるぐると回り続けている。それが延々と繰り返される。

 背中に何か大きな、ふわふわとした感触が感じられる。もっとはっきりと言えば、その時の俺の背中には何かがしがみついていた。その何かというのが一体何だったのかについては、正直なところひどく曖昧であり、そこには作詩の気配がある。

 でも、ともかく今の時点でその記憶を辿るならば、それは俺の身長ほどもある一匹の蛾だった。

 それが俺の背中にぴったりと張り付いていて、そして重りを振り回す俺に対して何を言うでもなく、じっとしているのだ。


 ぐるぐると回り続けている自分と、その背中にはりついた一匹の巨大な蛾。

 それが今も印象的なものとして俺の記憶の中に残り続けている。

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