公立高校の校舎の前には下駄箱があって、外履きをスリッパに履き替えて教室に入ることになっていた。
スリッパは学校指定の青くて冷たい感じのするもので、どこかのトイレで使われているようなものだった。
でも、それは指定されたものだからみんなそれを履いた。それが制服の一部なのだ。
ある日、そのスリッパに文句がついた。
あのスリッパは古くからある形で、戦争中からあるものじゃないか。
個性のないスリッパを集団に押し付けるなんて、没個性だ。思想教育だ、軍国主義だ。
こんなことでは個性のある生徒は育たないに違いない。」
校則に反して、違うスリッパで生活する生徒が現れる。個性を発揮しているらしい。
校則違反を指摘すると、学校に来ないと言う。教育を受ける権利を奪われたと言う。
学校指定のスリッパを履いている人をそそのかす。「そんなことでいいの?」
校則に反している生徒は複数になった。教師にもいる。
スリッパで個性を発揮しなくても、個性や完成を発揮するところはありすぎるほどある。
だが、違うスリッパを履いている生徒は自分たちが正常で、自由を謳歌している仲間だと主張している。
うちの母校、公立で昔は制服あったけど 生徒が制服撤廃運動して私服に変えた歴史がある。 のを思い出した。
公立学校教職員の起立拒否は法令無視でしかないって事実を誤魔化すための論点ずらしにしか見えんが。
http://anond.hatelabo.jp/20120412224247 君が代を歌わないのが問題なのはルール違反であることは当然として、もうひとつの思想としてもおかしいということが言いたいわけです。 君が代を歌わ...
思想の問題に踏み込むまでもない案件だと思うし、思想を持ち出す時点で論点が拡散してしまう。 なのでその話題は公務員のサボタージュの是非一点に絞りこむべき。 仮に時の権力者が...