誰もがそうであるとは限らない、と前置きした上で。
歴史的経緯と、それに基づく道徳観、あと教育というのは大きいよな、と思う。
もっとも、法律なんてのは結局のところ国という中で通用する「ローカルルール」な訳で、他と比べて、とかそう言うのとはやや離れて考えた方がよい。多い少ないという話をし出したら、大陸のあそことか、中東のあれこれとか、もっと道義的にアレなものも多いわけで。
応報刑論とか特別予防論とか、いろいろ理屈づけはあるのだろうけど、根源としては「悪い事をしたら報いを受ける」「TPOをわきまえないなら、コミュニティから排斥される」なワケよ。そこに上限を設けるのは「罪という債務は有限責任なのか」「コミュニティに対する危険は(それがどんな危険でも)甘受しなければならないのか」という話になる。
それらの論についてすくなからずの議論があった上で、死刑存続という社会的なコンセンサスが成り立っている。これを「お前死ねよ」っていう冷たい心の本音」「「他人に死んで欲しい」という意識が実は他国に比べて強い」というのは、何というか、変わった見方だな、と思うね。