2011-06-25

「相手を友人と見做す」行為に隠れている醜さ

それは、同レベルだという値踏みがあるから出来る事だ

「多少の上下はあるにせよ、大体同じ程度の人間だ」という思いがそこにはある

相手といて心地いいから、楽でいいから、愉しいから、理解してくれるから

全て、同等だから成立することだ

ロリコンの心理に似ている

自分を脅かすような、自分自尊心を傷付けるような相手が怖いか

自分と同等か、自分より低度か、自分より少しだけ上の人間しか関われない

自分より一定の基準以上の人間だと、回避しようとする

最低だと思う

自分を保つために他者を利用しているようで、気分が悪い

器の狭さのようなもの反吐がでる

矮小自己に気持ち悪さを感じる

卑屈な人格に穢れを見る

自分自身の見たくない部分を直視したくなかった

それが紛れもなく自分自身の一部である事が許せない

許せないという事は、それが今現在においては変わらないという事で

それでも尚、怒りや無力感の行き先を自分に向けられなくて

自分に対して持ってるそれらを、あたかも友人が持っているかのように思い込んで

友人を攻撃することで、自分の中の気持ち悪さを間接的に攻撃する

それはつまり投影化という名前八つ当たりに似た行為で

やっぱりそれも、最低な行為だ

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