2011-02-23

重みとしてのリアル、ごっことしてのバーチャル

バーチャルっていうのは、おおむね仮想的であるという事だ。

そしてバーチャルは、現実であるリアルと互いに異なり合うものとして、考えられている。

だけど、私はリアルというものを単に現実的だという事ではなく、「重み」という機能として捉えてみたい

そしてそのような重みを欠いたものとして、バーチャルを「ごっこ」として見てはどうだろうか。

このごっことは、重みすなわち必然性を欠いているという意味である

例えば、だらしなくて不甲斐ない政権与党体たらくを、政治ごっこに終始しているのだと見なしてみる。

真の実効的な政治とは、もはや過去の遺産というか、現時点では想像の中にのしか存在していないのかもしれない。

そういう意味では、バーチャルの中にこそリアル存在し、リアルの中にこそバーチャル存在しているのではないか

もちろんただ単に重みがあれば良いというのではなく、重みをもつ現実であるがゆえに、その重みのしんどさに対して人はそれを避けてしまう。

からごっこにも、無意味意味というか、必然性の欠如という名の必然性存在している。

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