欲しいものは手に入れた瞬間、どーでもいいものと成り下がっていく。
私たちが欲しいと思っているものは、みんなが持っているモノ。みんなが欲しているもの。
ブランドのバッグ、ファッショナブルな服飾、立派な家、等々。
世界に自分ひとりしかいなくなったとしたら、欲しいとも思わないものばかり。
他人の目があることによって初めて成立するような価値。
多くの「価値があるモノ」に何故価値があるのかを知らずに、それを妄信する私たち。
それを所有することによって、自分に取り込むことによって、自分の価値、自分の力を証明しようとする。
あるインディアンの部族は自分の大切な財産を他人の前で破壊することによって、自分の力を示すという風習を持っていたらしい。
現代の過剰な消費はそれに似ている。
過剰とも思える浪費、消費に私たちが煽られるのは、経済を回すため。
でも、もっとマシなモノやサービスで経済を回すことができないものか、と思う。
そらそうだろ。 所有する意味は自分以外の人間がそれを独占してしまう環境があって初めて認識されるんだから。 他に独占されてしまう状況になければ元から自分がそれを独占している...
「現代の消費すなわち過剰消費」みたいな極端な言説は何とかならないのかなあ あなたがこれまでに買った品々は、一つ残らず「どーでもいいもの」ですか? 仮にそうだとしたら、何が...