勉強しないといけないんだけど、まず何から始めればいいのかわからない。
ノートは買った。
それでどうすればいいんだろう。
教科書写すとか?
勉強って何かノートに書いたりするらしいけど、何書いてるんだろう。
ノートに書いてるだけで覚えられるんだろうか。
何からノートに書けばいいんだろう。
わからん。
誰かに勉強のやり方について教えてもらいたいんだけど、誰に聞けばいいのかわからない。
いい加減勉強したい。
びろーん
ちょっと色々待った。
「普遍的人権」っていうのは、死刑とか一部のああいう事態を除いて
つまるところ、「俺の命は千円です」って意味になると思うんだが。
その程度の価値だということは、俺がノリで撃ち殺してもオーケーだよな!まさかその土壇場になって
「やっぱ普遍的人権大事です!」とか言い出さないよな?ってことになってしまう。
もちろん「俺の命なんてその程度のもので、お暇でしたら撃ちに来たらいいよ」っていう
突き抜けたニヒリストであるなら、それも思想的には一理あるのでケチつけない。
でも、その考え方は「俺は腹いっぱいなので、メシには何の価値もないよ」って話じゃなかろうか。
基本的人権っていうのは「俺の命」に関する考え方なのであって、そーいう話じゃないんだよね。
言いたいことはわかるけど、言葉のチョイス間違ってないかなーと。更にもっと言えば、
その話って「俺には目先に利益しか見えませーん、頭悪いッスから」みたいな話じゃないかと。
レイシストが1000円くれるなら、俺はレイシストに投票するだろう。
でも俺はクリックしないけどね。
おそらく自分の人生とは全く無縁であろう、地球の裏側にいる他人の命に、
今アフガンで戦闘してる兵士の命も、70年前に俺らの祖父に殺された中国人の命も、
レイシストが1000円くれるなら、俺はレイシストに投票するだろう。
一番最初にそれを感じたのは、「日本鬼子」の盛り上がりを見たとき。気持ち悪い盛り上がり方だと思った。最初は自分も面白がったけど、途中から「なんか違うぞ」と。なにがキモイって
・最近多い「無理矢理ブーム作ってる」感じ
上のようなところ。で、さらに嫌なのが、そんなキモイやつらに乗っかっちゃう奴らがいて、それも結構な人数だってこと。まあ最初に面白がった自分も、同類なんだけどね…。
これって結構シャレにならない。大事件だよね。でもどこか面白がってる人が多いように思える。いや、面白がるのはいいんだけれど、おもちゃにして遊んでいる人がいる。
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51644173.html
なんか、もっと自重したって、罰は当たらないんじゃないかって思う。
毎日うどんでも飽きない奴と、たまには他のものが食べたくなる奴といるだろ?
親父がまた余計な物を買ってきた。タワー型の洗濯物干し?のようなものだ。
そもそもこれが必要な状況ではないのだが、なぜ買った来たのか分からない。
そして「どこに置くの?」って聞いたら「置く場所考えてる」だと。
普通、置く場所考えてから買うと思うんだが・・。
年取ったらこういう良くわからない事し出すようになるんだろうか。
60超えてからこういう不可解な行動が目立つようになって不安だ。
まだよくわかってないんだけども、ひょっとして「ちんこをみせたいのか、それともただパンツを脱ぎたいだけなのか」って、俺がよく自問自答するのと似たような話なんかな。
内田 ぼくの師匠の多田宏先生のさらに師匠に中村天風という方がいらっしゃるんですが、その先生の教えの中に「取り越し苦労をするな」というのがあるんです。
取り越し苦労というのは、未来が予測可能であるということが前提になってますよね。こうなって、こうなったらどうしよう……と起こり得る可能性を羅列的に列挙して、その中の最悪の状況を想定して、そのときの困惑や苦悩を先取りする。でも、まだこれから何が起こるのかもわからない時に取り越し苦労をしてしまう人間というのは、失敗を宿命づけられているんですよ。だって、人生って必ず予測もしなかったことが起こるわけですから(笑)。もっと未来の未知性に対して敬意や畏怖の念を抱かないと。
未来に向かって開かれているというのは、未来の可能性を列挙して安心したり不安がったりするということではなくて、一瞬後には何が起こるかわからないという覚悟を持つことだと思うんです。ですから、「取り越し苦労をするな」というのは、楽観的になりなさい、ということでは全然なくて、「何が起こるかわからない」のだから、全方位的にリラックスして構えていないと対応できないよ、ということなんですね。
でも、悩んでいる人というのは、ほぼ百%が取り越し苦労で苦しんでいる。こうなったらどうしよう、こうなったらえらいことになる……って最悪のシナリオを事細かに想定して、どんどん細部まで描き込んでゆく。自分のことをリアリストだと思っている人ほど取り越し苦労しがちですよね。
でも、先ほども言いましたけれど、最悪のことを考えて、あらかじめいろいろな策をきちきちと講じておくと、そういうふうに最悪の場面に備えて対策を講じていた自分の努力に「報いてあげたい」と思うようになるんです。せっかく最悪の事態に備えたのに、最悪の事態が到来しないんじゃ、取り越し苦労した甲斐がない。だから、取り越し苦労する人は、その最悪の事態の到来を願うようになるんです。
春日 そうそう。鬱病の人の特徴の一つが、まさにその「取り越し苦労」なんですよ。それからもう一つ、彼らが一番つらいのが「もはや取り返しがつかない」ってこと(笑)。
内田 なるほど。
春日 未来を先取りして失敗して、「もう取り返しがつかない」って言っているわけです。
内田 未来も過去もないんだ。現在がリピートしているわけですね。でも、過去って取り返しがつくものでしょ。だって、新しい経験をしただけで、過去の意味なんて一気に全部変わっちゃうんだから。すべての行為は文脈依存的ですからね、新しい行為によって、経験の文脈が変われば経験の解釈も自ずと変わってくる。あとになって、すでに経験したことの意味が「ああ、あれはこういうことだったのか」と解釈が一変することなんてしょっちゅうじゃないですか。
過去は可変的であり、未来は未知である。だから、過去についても、未来についても、確定的なことは何も言えないというのが時間の中を生きる人間の健全な姿でしょう。過去はもう取り返しがつかないし、未来はすでに先取りされて変更の余地がないというのじゃ、出口なしですから、もうどこにも行き場がない。
春日 鬱病にかぎらず、どうも見ていると患者さんが感情的に一番つらいのが、もはや取り返しがつかない、という気持ちみたいですね。彼らには、内田先生のおっしゃるような「過去を変える」という柔軟性は持てないわけです。それで、ああもう駄目だということで悔やんで、自分を追い詰めてしまう人は非常に多いんです。
内田 取り返しがつかないこともたしかにありますけど、日常的な経験のほとんどは取り返しがつくんですよ。取り返しがつくというのは「リセット」ということではなくて、文脈を変えることによって、過去の意味が変わってくる、ということなんです。
悲劇の条件には二つあって、ひとつは“I must go”、ひとつは“It is too late”だと中学生のときに習ったことがありますけれど、これは未来も過去も「変更の余地がない」ということですよね。現在に繋縛されていること、それが悲劇の条件なんです。
苦しんでいる人の原因のかなりはこの「未来が予見可能だ」という思い込みにあるとぼくは思います。未来なんて予見不可能なんです。それがわかっている人には、思いがけなく遺産が転がり込んでくることもあるわけですが(笑)。予見できると思い込んでいる人が思い描く未来って、たいていチープなんです。
春日 楽観性の欠如みたいなところもあるわけでしょ。
内田 「一寸先は闇」って言いますけど、それは逆に言えば、「一寸先はバラ色」かもしれないという不確定性のことでしょう。でも、未来予測するリアリストは、選択的にネガティブな事態を予測しがちですよね。たしかに最悪の事態に備えるというのはそれなりに合理的なことなんですけれど、未来の不確定性を低く見積もった上で、最悪の事態の到来を無意識的に待望するという二点を割り引くと、やっぱり先のことなんてあんまり考え過ぎない方が正解という結論になると思うんです。
健全な肉体に狂気は宿る ──生きづらさの正体
より。
禅僧が1000年前に言ってた話だな
「ちょっといいですか?」
「ん?なに?」
「ブックマークがたくさんついたようなので、私からもいくつか質問していいですか?」
「うん、いいけど」
「こういうインタビューは今回はじめて?」
「何故公開したのですか?」
「え?ダメだった?」
「構いません。理由を知りたいだけです。」
「理由かー」
「そうです。理由です。自己顕示欲が強すぎるって言われてますよ?」
「なにそれ?ナルシストみたいな?」
「ちょっと違いますけど、似たようなものです。」
「じゃあどういう意味なの?」
「そのままです。自己を顕示する欲求が強い」
「顕示ってなに?」
「顕示は"あきらかにしめす"です」
「表現するッてこと?」
「そのようなものです」
「そうですね、顕示するは、表現する、よりも、対象の理解を意識していますね。表すことではなく、示すことですから。」
「自己顕示欲が強いんですか?」
「んー、やっぱりわからない」
「では、質問を戻しましょう」
「はい」
「えっと、今回のを匿名ダイヤリーに載せたのは、はてなブックマークのホットエントリーは知ってる?」
「はい」
「私、あれをよく見るの」
「はい」
「それでね、たまにこの匿名ダイヤリーの記事があがってるじゃない?」
「挙がってますね。」
「あれってさ、結構特殊なようで似たようなのが多くない?」
「偏っているということですか?」
「それもあるけど、他にもほら、なんていうの?斬新な事言ってるようで、似たり寄ったりだったりとか、またそれかーい!ってときどき思う」
「そうですね。匿名ダイアリーのエントリーは少ししか見た事ないんですが、若い人に偏ってますね。言説が若い。発想が若い。それはただ稚拙だという意味ではなくて、現代の若者の時流に乗った発想が見受けられます。そして、ホットエントリーに挙がってくるようなものは大抵不完全なものが多いです。」
「不完全な記事?」
「そうです。完全な言説は反論も議論の余地もありませんから、話題には挙がりにくいです。」
「事実たくさん突っ込まれてますよね。インタビュアーが頭悪すぎるとか。」
「え、うそ!?」
「しかも一つじゃなかったですよ」
「ほんとに?なんで頭悪いとか言われんの?むかつく!」
「他にもほら、」
「もういい!もういいもういいから!」
「すみません、怒らないで」
「怒ってないし。ちょっとムカついただけ」
「そうそう」
「ホットエントリーをよく見ていて、なんでしたっけ?」
「そう、ホットエントリーをよく見ていて、それでね、」
「はい」
「それで今回のインタビューやったよね?それがさ、なんか匿名ダイヤリーの内容に似てた気がしたの」
「どのエントリーとですか?」
「どの記事とかじゃなくて、全体的に何となくね」
「匿名ダイアリー一般に漂う空気と似通ったものがあったということですか?」
「そうそう、そんな感じ。だからね、ここに公開したら、反応とか共感してくれる人がいるんじゃないかと思って!!」
「どうでした?」
「いたね!たくさん!ホットエントリーにも載ったし、私はそれだけでちょっとした満足!!」
「よかったですね」
「うん!」
「無理!」