結婚制度反対=左翼、とか思ってるのかな?結婚制度の枠内で選択の幅を広げたいという人も多いと思うし、自由主義(自民党にもいるね)の人からすれば賛成の人も多いと思う。自民党にも選択的夫婦別姓賛成派はいるし、一概に左翼とは言えそうにないな。
選択的夫婦別姓に反対というと保守主義の立場になるんじゃないかな。日本の美徳万歳!な立場なはずだから。そういや、結婚制度を維持したいならむしろ「結婚制度の枠を広げて」国民から広く支持を得られるようにする、というやり方もありえるんだよな。
y_arimのエントリをどこをどう読んだら
ありむーのエントリ、そしてお前の言もだが、多数派を個人(少数派)だと思うことで気休めにしようとしてる
と読めるのだろうか。
シャドーボクシングとか見えない敵とかまさかと思いますがあなたの妄想ではないでしょうかとかならともかく。
そもそも、「多数派を個人だと思うことで気休めにしようとしているだけ」とかいう相手に向かって
「俺が許さない」と「世間が許さない」をちゃんと使い分けてる奴だっているだろう。
つーか本物の「世間」(と「個人」)に向き合っていくのが大人だろ?
なんていう突っ込みがどうやったら成り立つのか。
昨日のことだが大学か大学院に通っている設定の夢を見た(;´Д`)
何かの数学の授業があるんだが何言ってるか全く理解出来なくてどう考えても進級も卒業も出来なさそうなの
「このままじゃ会社クビになる、ああ夢だったらいいのに」と思ってたら目が覚めた
凄い嫌な汗かいてた
なんでこういう夢を見るんだろう
異常無いなら安心せい。よく噛むのも忘れるでないぞ。なに少食だと?素敵じゃないか。
栄養はMVM飲もうな。身体悪いとそこらの管理栄養士より知識ついた件w クコの実食べなされ。
まあ少量多品目だけ気をつけてれば何も考えんでいいよw
どこか言い訳して、不器用に生きていることを自覚しているんだけど、行動に出れない。
そこら辺が自分がFラン卒なのかなと思ってます。
トラバありがとうございます。
「主人公のヘラチョンボはウンゴラのジョルボンに選ばれたモヘ。
ジョルボンの中心、力の源にはポボヨグギッギがあり、機能に合わせて周囲を形作る物体がジョルボンにあたる。
ジョルボンはポボヨグギッギを内包した神の機械と呼べる存在。
ジョルボンを作ったさらに大きな神がヌリンチョの神話におり、その神が残した機械がジョルボンであり、
人間からすればジョルボンは神に等しい存在。
神の機械であるジョルボンがいろいろなものを生み出し、人間の生活を豊かにしている」
「ジョルボンがモヘになる者へ使命を伝える方法がポッポリ。
ジョルボンに選ばれたモヘはポッポリを見て烙印を押されモヘとなる。
ポッポリは映像のようなものだが具体的に使命がわかるものではなくモヘによる解釈によってポッポリから得るものが変わる。
ジョルボンはウンゴラにもピポゲッゲにもあり複数存在する。
しかし、ピポゲッゲでウンゴラのジョルボンが発見されることは異常事態であり珍しいこと。
普通ならばピポゲッゲのジョルボンはピポゲッゲだけ、ウンゴラのジョルボンはウンゴラだけに存在するからだ」
これだけでいかにおかしい話かが分かるだろう
出典:あやしいわーるど
イスタリとかマイアとかいう単語を知らなくてもぴんとくるレベル=映画内でわかる範囲で言い換えてみるテスト。
ゴクリ、もといゴラムが元々指輪を拾った何者か(原作ではホビットの祖先にあたる種族って説明されています)が指輪に惹かれるあまりにモンスターな姿に変貌しちゃったものだ、ってのは映画でもわかりますよね。
エルフのガラドリエル様が「指輪やる!」って言われてなんかもの凄く威圧感あふれるお姿に変貌するシーンがありましたよね。結局は「試練に耐えた」つって指輪突っ返すんですが。
同じように、ガンダルフですら指輪を持ったらいつまで耐えられるかはわかりません。素のじいさんフォームですら世界屈指の魔法使いであるガンダルフが、指輪の誘惑に負けて悪に落ちたらどうなるか。サルマンとタイマンで勝てるくらいのパワーアップを遂げる可能性もありますが、その後サルマン以上に世界の脅威、『魔王』に成り果てるかもしれません。それでは本末転倒なので、「自分が悪に落ちたことにより更に世界が危機にさらされる」リスクを避けたと考えるべきでしょう。
幸い、ホビットはそんなに短期間では指輪への誘惑に負けなさそうだし、よしんば誘惑に負けたとしてもせいぜいゴラムがあんな姿になっちゃった程度の影響で済みます。
諸外国がやってるみたいに、時間帯によって料金を変えればいいんじゃないかな。ラッシュ時に高くすれば、自然と平準化するとおもう。
やばい自分頭おかしくなったかもしれない
周りの友達がみんなビッチに見えてきた
「元彼が~」とか話してるの見たら、心の中にいる100人の私のうち1人が「ビッチ!あいつビッチ!嫌い!」って叫びだして
残りの99人の私が必死でそれを止める感じ、
「いや確かに前の彼氏と別れてすぐ今の彼氏と付き合いだしたけど、あの子ちゃんとけじめつけてたから別に非難されることしてないってば」
「アンタの価値観が特殊つうか、変なんだよ!」って
その1人だけ頭おかしくなってる私は、「だって私初めて同士で付き合ってもう長いし。私が大学出たら結婚するし」
「付き合ってすぐ股開くバカとは違うもん」とか頭おかしいことほざいてる
残りの99人の私は、「いやそれでもいつ別れるかなんてわかんねーじゃん、うぬぼれんなカス」
「そうやって内心友達見下してるなんてホント救いようのない性格の悪さだね」って
あああなんなんだろうこの葛藤
なんでこんな感情湧いてくんの?ほんとキチガイなの?私
今までこんなこと思ったことなかったよね?いきなりなんなの?
知らんうちになんかコンプレックスでも感じてたの?
頭おかしいほうの私が私の本音なの?たしなめてる99人の私はなんなの?
周りにはいつも付き合い方褒められるけど、それ真に受けて調子乗って周り見下してんの?バカなの?
もうやだ怖い自分が怖い
熟読してたら、イスタリの立場を理解してるんじゃない?
(あるいは気に入らないから否定したいか)
自分の場合、定期検診では特に異常出てない(はず)なんだけど、
どういう風に分かるものなんですか?
自然に食べてて少食なので、カロリー計算はあまりやってなかった。
前俺も同じ事が気になったんで、トヨタのお客様センターだかにメールして聞いてみた。
同じとはいっても「180キロまでメータきってある意味は」みたいな質問だったんだけど。
で、答えは高速で一番勾配のきついところを100キロで走り続ける事が出来るエンジンだと
平地とかだと180近く出るようになるというような解答であった。
あと、安全マージンとして「前に逃げる」ってこともあり得るので
そのようになっているという事だった。
マツダあたりだと走りを追求した結果ですとか言いそうな気もしないでもない。
聞いてみたら。案外答えてもらえるもんだよ。
日ごろ本当に小銭稼ぎで某リサーチ会社のアンケート答えているんだけど本当にひどい。
仕事でもこのリサーチ会社を使ってる人がいてよくプレゼンの資料にしてるんだけど、信憑性が薄いなぁと本気で思ってきた。
リサーチ会社って多種多様な人のいるアンケート母体を持っていること、分析力が必要だと思っていたけど、この某社に関して分析力の手前の部分がひどい。質問項目がひどい。
たとえばマルチアンサーでこんな質問
・●●(衣類系)の商品であなたが欲しいのはどれですか?すべて選んでください。
1.価格が安いもの
2.高品質なもの
3.手触りがいいもの
4.デザインがいいもの
5.値段の高いもの
6.低品質なもの
7.手触りのわるいもの
8.デザインの悪いもの
おいおいおい。
これでどんな結果が欲しいんだって話だよ。普通に考えたらこんなの1~4に答えが集中するだけじゃねーか。誰でも安くて高品質で手触りがよくてデザインがいいものが欲しいだろうよ。5~8を選ぶ人なんてそうそういないだろ。一応抑えのデータとしてこれをとって次にシングルアンサー形式で質問するとか、一番~三番ぐらいまでで重視するものを選んでくださいってやって、想定ターゲットとクロスで分析してニーズをとか商品の受容度を確認するのが常識じゃないの?このあとすぐに年収とか聞く質問になっているからターゲットの想定外として質問を外されたわけじゃなさそうだし。違うアンケートでは立て続けに同じ項目で欲しくない商品はどれですか?ってきてリアルにお茶吹きそうになったよ。
仮にクライアントがこのレベルの質問をあげてきたら、修正提案とかしないの?こんなんでどうやってデータ納品するつもりなの?仮設すらないのにアンケートしてるの?プレゼン用に都合のいいデータが欲しいならこのレベルならねつ造すればいいのに。というこんなレベルのアンケートが連続してくる。一回だけなら担当者の技量だろうけど、ここ1年モニターやっててこんなのばかり。
当人が思い込んでる常識やら思い込みやらを語ってるだけでないの
あんた本当は指輪物語熟読してるんじゃないの?おれ釣られちゃってるの?
なくなるほどいいということはないはず。なくなりすぎたら与党でいられなくなるんだから。
おいおい、もっと情報集めないとヤバイぜそれ。俺も20代中盤でそれ系の疾患抱えてるから気になるじゃねえか。
少食と低脂肪食はちゃんとやらないとな。定期検査で自己認識。それから、内臓ってストレスと密接。ストレス緩和法とリラックス法模索しやがれ。
ちなみに、俺は今日は800+500+400という三食で、1700kcalしか食ってねえww
この人、確率論の基礎(高校レベル)も理解してないね…。なんか偉そうにゆとりとか言ってるけど。
実際は
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h19kekka01-4.pdf
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h20kekka01-4.pdf
この辺のデータを参照すれば、「連続で落ちる奴はアホ」という結論自体は正しいことがわかるんだが、
確率(全体の合格率)を単純に掛け算していいということが正当化されるわけじゃない。
その個性に関係なく
だから、確率で語るのは全然間違いではありません。
これとか完全に意味不明だし。
だって西洋でワークシェアという概念が編み出されたのとは全く独立に、かつ、全く異なる動機・背景で発案されたものだから。
リーマンショックからこのかた、雇用情勢の悪化で「今度こそワークシェアしかねえ……!」という機運が国内でも出てきている昨今、大分県姫島村、つうか姫島村役場の事例が「国内におけるワークシェアの元祖」であるような文脈で各マスコミで持ち上げられている。うんまあ、『賃金を抑えてその分たくさん人を雇いましょう』という手法そのものはワークシェア的ではあるし、かかる手法において国内最古と言われればその通りだ、っていうか下手したら先進資本主義世界全体において最古かもしれないw(*1)
ただ、姫島村の場合は当時から現在に至るまで一貫して『公共セクターに於いて賃金を抑え雇用を増やす』形態になっており、この点で既に一般的なワークシェアの概念――民間ないし官民全体で、『同一労働同一賃金の原則』の徹底を背景に、主として一人当たりの労働時間を短縮することにより、一人当たりの賃金を抑制しつつ雇用を増やすこと――とは形態を異にする。
この形態の相違は、姫島村方式の創案そのものが、一般的な意味でのワークシェアとは起源を異にすることに由来する。
http://www.zck.or.jp/forum/forum/2590/2590.htm
や
http://www.zck.or.jp/essay/2681.html
において姫島村の藤本昭夫村長(40年前にこの制度を創案した村長の息子であったりする:後述)自らが詳しく述べられていることだが、この施策のそもそもの動機は雇用不安の解消などではなく、『昭和四十年代前半に、過疎化、人口減対策として若者を村に残すための取組みとして始められ』たものなのである。昭和四十年代前半といえば、オイルショックすらまだ到来していない、高度成長でイケイケドンドン右肩上がりな時代である。しかしながら姫島村ということろは、田舎である大分県の中でも、更に隔絶した離島だ。高度成長の恩恵はさほど大きくはなく、村内の仕事は限られる。とはいえ、今のような雇用不安とは様相が全く異なる。島の外に出て行けば、仕事はいくらでもあるのだから。
村内に仕事はないが、村外には仕事はいくらでもある。この状況下で、村内の仕事を増やすべく始められたのが、姫島村方式である。
では過疎対策としての効果の程如何かというと、これが結構効いている。今なお過疎の村には違いがないものの限界集落は発生しておらず(*2)、また現在でも村職員の人数は村内全人口の約7.7%を占める『大口の就職先』だ(*3)。この村職員の人数を背景に、保健や福祉など現場の業務――行政の合理化に於いて真っ先に民営に移されがちな『現業』の分野だ――にその過半を裂き(*3)、結果として村民の居住環境に対する満足度は過疎の村にもかかわらず悪くはない(*4)。一方で、村職員の給与は高度成長・バブルを経た現在でも低廉なまま据え置かれ、その水準は夕張市につぐ低さである(*4)。
とはいえ、一方で人口減は続いており、人口増に繋がる地域振興の決め手とまでには至っていないことは、上掲手記において藤本村長も認めるところである。
さて、かように長期にわたり姫島村方式が受容され続け、いまなお続いている背景には、その効果が評価されていること以外にも、姫島村社会および姫島村役場の特異性があることを指摘せざるを得ない。
姫島村では、藤本村長の父である故・藤本熊雄氏の代から半世紀以上にわたって村長選が行われていない(*5)。最後の村長選で村全体が『懲りた』のだ、と言う。一方で、熊雄氏は、姫島村出身である自民党の有力者・西村英一にきわめて近しい立場で、二人三脚のようにして姫島のインフラを整備していった。『おらが村の西村先生』を錦の旗(*6)に、姫島村の政治意識は保守・自民党への支持を基盤としてまとまっていった。
そこに到来した高度経済成長の波。人口流出の危機。熊雄氏は言った。『役場での共働きは原則、禁止。女性は出産育児を機会に退職する。ただ、家庭の事情に応じて優先的に雇用する』と(*7)。これが革新の強い地域であれば、かかる意見は昭和40年代の当時ですら『女性は出産を機に退職せよ、と強要するとは何事ぞ』と一悶着起きたであろう。都市部であれば首長リコールもありえたかもしれない(*8)。しかるに、ここは姫島村である。保守は絶対優位であり、(大分県内他自治体では今なお猖獗を極める)自治労系の職員組合すらここには存在しない(*9)。反対する者は居なかった。
今なお姫島村の同調圧力は強い。少し前からインターネットに居たはてサ諸君におかれては、「姫島村の成人式」を記憶する人もあるかもしれない。「成人式には晴れ着などもってのほか、それが『常識』である」との主張。それがまかり通る社会であればこそ、通用している制度である、という認識が必要だ。
無論、『空き缶デポジット制度の徹底』など、ほかにも同調圧力の強い村社会だからこそ成功した政策を幾つも擁する村なのであり、『みんなで保守化すればいいじゃん!』という解釈もできるかもしれないが、ねえ。
畢竟、姫島村方式は『過疎化の抑止』『過疎地における公共サービスの維持』に対しては一定の有効性を持ち、そういう意味では地方自治体、とりわけ過疎地を抱える自治体が真似するには良い物である。だが、だからといって『雇用不安を解決するためのワークシェア手法の先駆』としては一般化しがたいものだと考える。雇用不安対策としては民間を幅広く巻き込む必要があり、そのためには保守と革新・使用者と労働者の枠を越えた妥協が必要であるところ、姫島村で起きたことは良くも悪くも『保守・使用者的立場による善政』の枠を越える物ではないのだから。
……ってわけでな、あれを『ワークシェアだ! ラピュタは本当にあったんだ!!』って言われると、もにょるのだよ。
(*1)オランダのワークシェア事例が1970年台創始、姫島村方式も「40年ほど前に創始」「昭和四十年代前半」なのであるからほぼ同時期、ないし下手をしたら姫島村の方が古いかもしれんのよ。
(*2)http://kotobank.jp/word/%E5%A7%AB%E5%B3%B6%E6%9D%91%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0 ただしソースは朝日。
(*3)http://www.oita-press.co.jp/featureNews/12294210095/2009_123180887708.htmlおよび上掲の藤本村長手記から。パーセントで言ってもぴんと来づらいかもしれないが『村民の13人に一人が村職員』と言い換えると尋常じゃない。
(*4)http://arch.oita-u.ac.jp/urban/ppt/2008/B/yamamura.pdf
(*5)http://www.oita-press.co.jp/localNews/2008_122533025626.html
(*6)上掲手記中http://www.zck.or.jp/forum/forum/2590/2590.htm#section8に『西村先生は、「村の誇り」であり、西村先生を皆で応援しよう、皆で頑張ろうという意識』の言及あり。
(*7)http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/children/227551/
(*8)同じ大分県内の日田市で、近年『共働き職員の給与削減』を言った市長が居た。http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-060207-0011.htmlそして、その市長は次の選挙で落選した。
(*9)上掲手記中http://www.zck.or.jp/essay/2681.htmlに「職員団体はない」旨言及あり。
最近になって本格的に悩み始めている二十代中盤。
胃腸がよわいというのにも色々あると思うけど、
自分の場合、ただ消化が遅い。(ストレスですぐ痛くなるとかは全然ない)
昼にステーキとかこってりしたラーメンとか重いものを食べると、
ほぼ間違いなく翌日まで、下手すると翌日の夕食くらいまで、もたれた感じが続く。
夜に食べれば、数時間は寝付くのが遅くなる。(だから普段は夜は軽めにしている)
大学時代までは、体質だからしょうがないと諦めていた。
たくさん(たいていは常人の一人前の範囲内)食べた翌日はぐったりしててもしょうがない、
と思ってなすがままにしていたけれど、最近はもうそんなことも言ってられない。
付き合いなどで食べ過ぎることはどうしてもあるし、
そのたびに作業効率が落ちるのは避けたい。
対応策として今のところやってるのは、
・予期できる食べ過ぎの前には薬をのむ(促進効果のあるほうの胃腸薬。合う薬はまだ探索中)
・食べ過ぎた日かその翌日の夜は必ず、それ以外もできるだけ、プールで泳ぐ(習慣付けておくと、急に食べ過ぎたときも対応しやすい)
・普段の食事の量を多すぎず少なすぎずにコントロールする(経験上、普段が少なすぎると、多いときのショックがでかい)
障害者と思う、というのは案外効いていて、
自分の消化器は、性能が足りないからそれを補う何かが必要だということで、
多少面倒くさいこともやる気になる。
実際、ラーメンの替え玉をじゃんじゃん付けるような人を見ていると、
それくらい内臓の性能に差があるような気がする。